The wizard And Glafs flippers(4)


 秋は過ぎ、冬となる。相変わらず気持ちは彷徨ったまま、それでも柳先輩を幸せにするとか以前に、自分を高めなければどうにもならないと思った。だから、ひとまず柳先輩への気持ちを置いておく。代わりにバスケや、自分に頑張れるものを必死にやろうと決めた。
 ――けれど、クリスマス頃風邪を引いていた柳先輩が、部活に復帰した頃。俺は気付いてしまった。
 柳先輩が、山元先輩を避けていることに。
 今まで続いていた会話はテンポ悪く、柳先輩は唐突に山元先輩との話を切る。山元先輩はそんな柳先輩を、ひどく切なそうな目で見つめるだけだ。
 ……さて、これは俺にとって吉と出るか、凶と出るか。正直なところ、気持ちは置いてあるけれど柳先輩を愛おしく思う気持ちに偽りはない。一時は諦めると口にしたけれど、ここで柳先輩を諦めてしまえば、それこそ成長していないということだと思うんだ。だから隙があれば、いつだって割り込んでやろうと思っていた。今は俺のチャンスかもしれないけれど、もしかしたら俺の行動が起爆剤となるかもしれない。そこが図れないから、動くことも出来ず。二人を見ながら、手の中のボールを転がす。
 操る手を失えば、ボールも運命も、勝手に動き出してしまう。そういう他人任せは好きじゃないから、自分の手できちんと道を決めようと思っている。だから、しばらく見守ることに徹しようと思ったんだけど。

* * *

 始業式の日。徹夜で作り上げた美術の課題を提出し、北校舎の廊下を早足で進む。吐き出す息は白く、セーター一枚だととにかく寒い。とにかく早く教室に戻ろうと、若干駆け足にもなった時。
「、」
 小さな女の子が、この寒い日に一人ぽつんと窓際に立っている。顔を腕の中に埋め立つ姿は、ひどく寒々しくて。抱き締めたくなって、少し戸惑った。
 その人は、柳先輩だったから。
「……あれ、柳先輩?」
 とりあえず、さり気なさを装って話しかける。俺の言葉に慌てて顔を上げた柳先輩は、ゆっくり振り返った。
「青竹、くん」
 俺と目が合った柳先輩は、出来そこないのような笑顔を見せた。笑おうとして、笑うのに失敗した顔。気付かないふりをして、どうしたのかと尋ねれば、近付きながら質問を返される。それは意識してなのか分からないけれど、基本的に質問返しするのはその質問に返事をしたくない時だ。なんとなく、理由は思い当たる。柳先輩と山元先輩は、同じクラスだ。何かしら起こって逃げて来たと考えたら、多分間違いないだろう。だけどやっぱりどうアクションするか迷った挙句、普通に話していたら、不意に柳先輩は顔を歪めた。本当に、突然。その顔は苦しさもあるけれど、どこか甘さを含んでいて。……分かりたくないのに、分かってしまった。柳先輩の心を占める、男の存在。それがどうにも気に食わなくて、気付いた時には。
「柳先輩」
「ん?」
「先輩、最近、――山元先輩を、意識してますよね?」
 触れるか迷っていた爆弾に、自分から手を触れてしまっていた。

 目を丸くし、俺を見つめるその視線に戸惑いながら、表面上は笑って見せる。
 落ち着け。ここで一つでも言葉を迷ってはいけない。もしかしたら起爆剤になるかもしれないし、最悪俺と柳先輩の距離が壊れるかもしれない。だから、いつも以上に鋭く柳先輩を見つめた。少しでもその心が揺れたら、そこを決して間違えないように。
 息を呑む俺に、柳先輩は相変わらず下手な作り笑いを見せる。それに苦笑が漏れそうになった。
「何言って、」
「さっき、固まっちゃったから。もう言い訳は利きませんよ」
「、」
 ……ああ、もう。俺駄目かもな。どうしてこう、好きな人ですら追い詰めてしまうような話し方をしてしまうんだろう。口を噤み俺を見据える柳先輩を見ながら、内心苦笑していた。
 自分が正しいと思えば、相手に同じ考えを求めてしまう、俺の最低最悪の癖。舌打ちしたくなるのを堪えながら、表面上はとにかく笑い続ける。次の切り返しはミスしたら駄目だ。仕掛けたのは、俺。今はとにかく、柳先輩の言葉を引き出すこと。でも、一番大事な本音まで引きずりだしてしまったら意味がない。その匙加減は難しいが、投げたら今後、チャンスはない。そんな気がして。
 しばらくして、恐る恐る柳先輩は口を開いた。
「いつから、気付いてたの?」
「俺が気付いたのは、先輩が風邪で休んでて、復帰した日からですよ」
「……それって、最初からじゃない」
 そう唸る先輩に苦笑した。だって先輩は、分かりやす過ぎるから。山元先輩が近付くと震える身体、離れると吐き出す大きなため息、……なのに、視線だけはいつだって山元先輩を追っていて。柳先輩を見つめていれば、柳先輩が好きならば、すぐにでも分かってしまうんだよ。嫌になるくらい。
 俺の言葉を聞いた先輩は、前髪を掻き揚げて大きくため息を吐き。そして静かに、頭を下げた。
「――ごめん。そのことは、誰にも言わないで」
 ……そう来たか。その言葉に、内心笑いそうだった。
 どうやら柳先輩は、この期に及んで山元先輩に対する自分の気持ちと向き合わないつもりらしい。
そしてこのまま、触れずに済めば、というところか?予想以上の嬉しい状況に、頬が少し緩んだ。
 考えれば、簡単なことだ。柳先輩は今、山元先輩を好きである自分を認めたくない。――ならばこのまま、そんな柳先輩に自覚を促さず、あくまで待つ姿勢で、少しづつこちらを向かせればいい。無理に奪おうとすれば柳先輩は逃げてしまうだろう。ならば、こちらの手をとりあえず取らせ、側にいればいい。山元先輩から距離を置かせ、気持ちを遮断させるよう促せば。それに必要なのは柳先輩には優しい言葉と、時間だけ。一瞬でそこまで考えぬいた。
 信じられない。絶対に手に入らないと、とっくに両想いになってもおかしくないと思った二人に、今更こんな綻びが出来るなんて。
「――先輩は、どうして、誰にも相談しないんですか?」
 ゆっくりと、出来るだけ挑発的に聞こえるように。歩き出した柳先輩の背中に、声を掛ける。彼女は足を止めた。振り返ったその瞳は驚きで丸くなり、頼りなく揺れる。迷子の子供のような顔に、自分の考えは間違っていないことを確信して微笑んだ。逃げないことを確認しながら歩んでいき、柳先輩の前で立ち止まり、その瞳を覗き込む。充血した瞳、目の下の隈。寝不足なのも丸わかりだ。
「昔、柳先輩言ってたじゃないですか。何かあったら誰かに相談すると、楽だって。だったらどうして先輩は今、一人で悩んでるの?」
 どうしよう。もしかしたら、本当に手に入るかもしれない。まだ見えぬ未来に確信に似た気持ちを抱き、頬が緩む。怯えるように震えた彼女を見つめながら、もう少し、と心の中で呟く。
 あともう少し。これで、決着が着く。
「しないんですか?それとも、出来ない?」
「、」
「当たりだ」
 いつだって、柳先輩は正直だ。言葉に詰まるタイミングすら、完璧だと思ってしまう。この場では場違いなくらいはしゃいでみせると、先輩はむっとして顔を赤くした。
 ――そりゃあ、出来ないだろうな。相談なんて。俺はあまり先輩の交友関係に詳しくない。とりあえず知ってるのは、女バスの部長である林先輩くらい。だけど多分、今の状況で先輩が友達に相談すれば返って来る答えはまず間違いなく、『山元先輩と話し合え』だと思う。もしくは好きなんだろう、と問い詰められるかもしれない。だけど、柳先輩はそれを望んでいない。欲しい答えが返って来ることはないと分かっているから、寝不足になる程一人で悩んでいるのだ。それが分かっている癖にこんな質問をするなんて、我ながら意地が悪いな、と思った。
「殻に閉じこもって、先輩は、それでいいんですか?」
「……それしか、道がないもの」
「本当に?」
「……本当に」
 俺の挑発じみた質問に、先輩は言葉を返す。だけどその身体は今にでも折れてしまいそうな程弱く、儚い。なのに強くあろうとするためか、握られた拳や真っ直ぐな瞳がどうしようもなく、愛おしくて。
 ……ああ、もう、駄目だな。
 もっと追い詰めて心を弱らせて手に入れようとしたのに。やっぱり俺は、この人には優しくしたいし優しくされたい、と願ってしまう。
 小さくため息を吐いて、俯いた柳先輩の視界に入るように、手を差し出した。
「はい」
「……え?」
 慌てて顔を上げるその睫毛は、少しだけ濡れていて。どうしても真綿にくるむように大事には出来ない自分に、後悔半分諦め半分。
 だけどもし。あなたがこの手を、取ってくれるなら。俺は俺に出来る全てで、あなたを大事にするから、だからどうか。
「だったら、俺に相談すればいいじゃないですか」
「……青竹、くんに?」
「はい。話を聞く位なら、出来ると思いますよ?他の誰にも話せなかった、って言うなら、尚更」
 こんな風に卑怯な真似、きっと山元先輩はしないだろう。傷付けてぼろぼろにして、その心を自分に向けるなんてこと、あの人は絶対にしない。だから柳先輩も、山元先輩を選んだ。それは十分納得しているつもり。だけど。
「ほら、先輩。もうすぐ、HR始まっちゃいます」
 それでも、俺の中には強い想いがある。柳先輩が幸せであればいいと思う気持ちと、もう一つ。柳先輩を誰にも渡したくない、俺の手の中で幸せにしたいという、ある種貪欲な、恋と言う名の欲望が。
 だから、例え卑怯だと言われても。
「――早く、決めてください」
 ――山元先輩が、ぐずぐず悩んでいるのなら。俺はこの機会を、逃しはしない。

 震えた掌が俺のものと重ねられた瞬間、静かに握り締めた。冷たいこの手を、どうしても離したくないと、心から願いながら。

* * *

 そして俺は、柳先輩の隣を手に入れた。
 部活が終わった後、俺を見つけて嬉しそうに笑う柳先輩。山元先輩でも、林先輩でも、渡辺でもない。他の誰でもなく俺を待ちながら、寒空の下でも、健気に微笑む。その姿が可愛くて愛おしくて、幸せを感じた。――最初の頃は。
「それでね?山元、先生に何て言ったと思う?」
「何て言ったんですか?」
「『俺より程度の低い説明は、聞く気なくなっても仕方ないと思います』って。先生カンカンになっちゃって大変だったんだよー」
「山元先輩らしいですね……」
 話を聞く、と言ったのは俺。それがどんなに俺を傷付けるか、想像しなかった訳じゃない。だけど、想像なんて遥かに超えていた。
 柳先輩は山元先輩が話しかければまだびくついているし、俺がそこに割り入ればほっとした顔を見せる。それが山元先輩に打撃になっているのに、気付くこともなく。そうやって少しづつ二人の距離を開ければ心は変わっていくと、本気で信じていたのに。
「でしょ?……もう、ホント、口悪いんだから」
 ――ふわりと綻ぶ、柔らかな微笑み。
 俺の隣に在るのに、その瞳はいつだって、あの人を想って優しく細まる。瞳だけじゃない。話し方も、視線も、ふとした瞬間の声のトーンすら。その存在全てで、柳先輩は語ってしまう。元から嘘が吐ける人じゃないと分かっていたけれど、あまりに分かりやすすぎる。誰が見たって、今の柳先輩は『幸せな恋をしているのだろう』と口にする程に。
 気付いていますか?あなたが、山元先輩の話ばかりしていること。最初は俺に対する牽制かと思ったけれど、それにしては些細なことばかりで。今日の昼休みはずっと寝ていただとか、寝ぼけて自転車置き場に突っ込んだだとか、掃除の時箒でチャンバラごっこしていただとか。
 ……気付いていますか?あなたがどれだけ、山元先輩を見ているか。避けている癖に、山元先輩の一挙一動を追いかけて、心を疼かせて。
 何だかな。三週間もこんな日々を続けると、むなしくなってもくる。
 また一人悩み始めた柳先輩の冷たそうな頬を、そっと撫でてみる。胸が熱くなる、柔らかな感触。俺はこんな些細な触れ合いでも、精一杯なのに。
「青竹くん、あったかいね」
「柳先輩の頬は、冷たいですね」
「そりゃ、運動してないもん」
 ほら、そうやって。無防備に笑うの、……勘弁してくださいよ。
 クリスマス前、山元先輩が触れれば震えながら真っ赤になって、だけど瞳には喜びが灯って。今じゃ俺には、照れてすらくれない。完全に対象外、てか。夏くらいまでは、俺にも赤い顔見せてくれたのにな。
 悔しい。今すぐ、唇の一つでも奪ってしまいたい。でもそれで、俺が手に入れるのは空しい未来だろう。山元先輩から一発もらうか、壊れた柳先輩か、軽蔑の瞳か。どちらにせよ、今強引に動くのはあまりにリスクが高い。
 だから俺は、今日も柳先輩の側で馬鹿みたいに笑うことしか出来ない。



  

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