The wizard And Glafs flippers(5)


 二月のある日。化学の授業が終わる頃、暇になってふ、と窓の外に視線を向ける。一階にあるこの教室からは校庭の様子がよく見える。二年生が持久走をやっているのがよく見えた。そしてすぐに見つかるのは、柳先輩の姿。走り終わったのか、頬を赤くして一人ぼうっと遠くを眺めている。……なんてな。その視線の先が分かっているのに。あんな風に焦がれる視線を、柳先輩は他の誰にも与えない。たった一人以外は。

 ――ぶっちゃければ、柳先輩は面倒くさい女だと思う。
 山元先輩から逃げようとしながら、瞳はいつだって彼を追いかけて、山元先輩が側にいない今を悲しむ。俺の気持ちを知っているのに山元先輩の話をして、そんな自分をひっそりと責めてドつぼに嵌まる。
 あの春の日俺が惚れた女の子は、光そのものだった。眩しくて、優しくて、俺の道しるべで。
 だけど、だから。今の柳先輩は、俺の好きになったあの子じゃない。矛盾ばかり心に抱えて、揺れて揺れて人に流され、誰かの手に縋る。一人で立つことすら出来ない、そんな弱い彼女。

「……はぁ」
 ため息を吐きながら、今にも消えそうな儚い横顔を眺める。チャイムが鳴るまで視線は外せず、授業のノートは全く取れなかった。
 
* * *

「あ」
「……はよ」
 月曜の朝、寒さに震えながら部室のドアを開ける。布団から出るのは嫌だけど、いつもこなしている朝練をやらないと身体の調子が何だかおかしい。そういう訳で今日も一番乗りかと、思ったんだけど。
「おー青竹」
 意外や意外、タメで隣のクラスの片瀬がいた。目を丸くする俺に、へらりと笑う。片瀬は身長あるしセンスもいい、基本的に落ち着いていて良い奴なんだがいかんせん、時々非常に空気が読めない。アプローチされても鈍感さで全てをスルーして「最低男!!」と逆切れされ、彼女がいない。折角顔も悪くないし勿体ない、とも思うんだが。
「どしたんだよ、お前朝練くるって珍しくない?」
「や、昨日早めに終わったじゃん?家帰って即寝ちゃったんだよね。お陰で五時起きー」
 苦笑する片瀬に苦笑を帰す。まぁ、気持ちは分からなくはない。頷いてその横をすり抜け、学ランを脱ぎ捨てる。片瀬はちんたらバスパンを履いていた。しばらく沈黙が続いたが、片瀬が思い出したように声を上げた。
「あ、つかさ。今度大学決めた三年、練習来てくれるらしいぜ」
「マジで?誰」
「詳しくは分かんない。でも、田爪先輩とかレギュラーも何人か来るって」
「え、すっげ楽しみなんだけど。後でメールしてみよ」
 二月は、三年生はすでに自由登校。その姿を見ることはないが、久々に会えるとなったら心が躍った。一気にテンションを上げる俺に、片瀬も楽しそうに微笑む。けれど。
「あー、でもさ、お前の兄貴の代とか来ないのかね」
 その一言に、思わず息を呑んでしまった。
「大体残念だよなぁ、同じ中学で高校なのに青竹兄弟でプレイ出来ないのは。大学で一緒にやるつもりとかないのか?」
「……今んとこは。つか、兄貴バスケ今は本格的にはやってないから」
「あ、そうなの?勿体ないな」
 お前あんな兄貴いるって良いよなー、練習付き合ってもらえるだろー、と能天気に捲し立てる片瀬。それについつい、乾いた笑いを浮かべてしまう。無邪気な言葉だからこそ、どう反応すればいいか迷ってしまって。
 兄貴と自分を比較するのを止めよう、と思った。けれど、長年染み付いた癖はなかなかに変わらないらしい。兄貴じゃなくて悪かったな、とついつい出てしまいそうだった皮肉に自分で笑った。
「何、片瀬も兄貴とやりたかった?」
「ん、そりゃあな。同じ世代で憧れない奴はいないだろ」
 俺が着替え終わったのに対し、最初にいた片瀬は未だにスウェットも着ず、半袖姿。寒くないのか、とぼんやり思った。
 卑屈にはなるな。自分を卑下するな。片瀬は純粋に話しているだけであって、俺と兄貴を比べようとしている訳じゃない。それが分かっているのに、知らず知らず拳を握りしめていたのに気付いて焦った。……馬鹿だなぁ。
 バッシュの紐を結ぶために俯いて、苦い思いを噛み殺そうと、顔を顰めた時。
「でもさ。俺は、青竹で良かったわ」
「……へ?」
 唐突な台詞に、間の抜けた反応をしてしまう。ぽかんと口を開けて顔を上げれば、片瀬はスウェットをようやく着ながら、俺の方を見てすらいなかった。
 なのに。
「青竹先輩のプレイは、すごく洗練されててもちろん良いけどさ。俺、多分お前のガンガン攻める感じのが合ってんだよな」
「……っ」
「中二ん時にお前んとこの中学の試合見て、俺お前とプレイしてぇなーってずっと思ってたからさ、今実は毎日楽しい」
 へへ、と笑いながら言われた言葉に、俺は反応出来なくて。恥ずかしいような泣きたいような、胸が詰まって、何も言えなくって。

『そりゃ、青竹先輩の弟だって見てる人もいるかもしれない。私もその一員だから、否定はしないよ。けどさ、『青竹くん』を見てる人もいるんだよ。そういう人のことを、忘れないで。青竹先輩だから出来るプレイがあるように、青竹くんだから出来るプレイもあってさ。どんなに似てても、一緒の人は、どこにもいないんだよ』

 いつかの彼女が言った言葉が、頭を駆け巡る。笑いながら言われた言葉を、当時俺は、どこか卑屈な気持ちで聞いていた。そんな訳ない、俺なんか所詮、ってずっと思っていた。
 でも、今、片瀬は言ってくれた。「俺で良かった」って。片瀬は俺のこと認めてくれてる。俺が兄貴に反発して始めたオフェンスプレイを、監督に駄目出しされたプレイを、認めてくれた。片瀬だけじゃない。柳先輩も、山元先輩も、顧問も、みんなみんな、俺の必死のプレイを認めて、応援してくれた。
 それを、俺は本当は、ずっと分かっていたのに。
 
「……さんきゅ」
「ん?何か言ったか?」
「……何でもない」
 また俯いて、バッシュの紐を結ぶ。瞼が熱くなる感覚が、痛い位だった。

* * *

 二月十一日。電車の揺れに身を委ね、小さくため息を吐く。窓の外を流れて行く景色をぼんやりと見ながら、前髪を掻き上げた。
 これで、いいのだろうか。俺の選択は、間違っていなかったんだろうか。何が正しいのかなんて全く分からないし、いつか自分の選択に後悔しないとは言い切れない。
『次はー向坂駅ー向坂駅ですー』
 電車の速度が落ち、迷い始めた思考にストップをかけたようなタイミングで、車内アナウンスが響く。座席にもたれた身体に、ぴくりと力が入った。まだ引き返せるかもしれない。何も見ない日々、聞かない日々に時を重ねていけば、いつか彼女は俺を見てくれるかもしれない。
「……は」
 だけど俺は、それを自分自身で笑い飛ばす。速度を落とす車内でゆっくりと立ち上がり、ドアに向かう。コートのポケットから出したケータイは、カイロと一緒に入れていたからか、温かかった。

 片瀬も、中学時代の同級生も、誰もが言った。「青竹はオフェンスだな」って。例えばバスケの試合で二点リードしてて、後は時間を稼ぐだけ、って時。俺はどうしてもそれが出来ない。敵陣に切りこみ、それで負けた試合も正直言って、ある。だけど、そういう自分はどうしても変えられなかった。良くも悪くも、我慢が利かない人間なのは自覚している。だからと言って変えられるかと聞かれれば、変えるつもりがないのだから笑えてくる。

 そう。俺は、攻めて攻めて攻めぬくだけ。

 その結果負けたって、歩みを止めない。

 ぱんっと強く頬を叩く。寒さなのか何なのか、震える指先に苦笑しながら、彼女のメモリをゆっくりと呼び出した。



  

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