Eye for
eye おまけ
「……」
「……」
――信じられない。
京くんと、二人、手を繋いでいる。ていうか、何か指しっかり絡めちゃってるし。これって、アレだよね?いわゆる、……『恋人繋ぎ』。
「ぅわ、」
その名称を思い出すだけでも恥ずかしくて。空いた片手で、頭を押さえる。顔が熱い。どうしようもなく。
暖房のついた車内で、真っ暗な車窓の風景を眺めながら、――側にいる、君。
贅沢すぎて、眩暈がしそう。
あまり人がいない車内で、私と京くんに視線が集中している気がする。恥ずかしくて、電車に乗ってからずっと俯いている顔をそのまま、ほんの少し距離を置いて座った。
すると。
「、」
「あんた、落ち着いて行動出来ないんですか」
「……だっ、なっ、」
ぐっ、と手を引かれて。私の上体は大きく傾いて、京くんの肩に頭がぶつかる。頬に触れる、京くんのしなやかな二の腕の筋肉。離さない、とでも言うように強く掴まれた手に、頭がクラクラした。いつも通りの嫌味にだって、反応出来ない。
何で、こういうこと出来ちゃうの。
私なんか、その存在を感じるだけで。
息が、止まりそうなのに――。
言葉にならない私の返事に、彼は呆れたようにため息を吐き。すぐ隣の手すりに肘を預け、頬杖をついた。
不思議。京くんは、特別素敵な顔立ちをしている訳じゃない。それでも、やたらと格好良く見える。自分の乙女フィルターが恥ずかしくて、私は身体を起こした。その時、座る位置を、少しだけ京くんに近付けて。
「……」
「……」
再び降りる、沈黙。
私はそっと、横目で彼の様子を伺う。瞳を閉じて、規則正しい息をするその姿は寝ているようで。ガッカリしながら、仕方ないのかな、とも思った。私や他の三年は、普通に来たけど、現役部員はみんな、朝から練習をして来たんだもんね。疲れてるんだろう。そう思って、大きく息を吐きながら背もたれに身体を預ける。
どうせ、私の最寄り駅まであと十五分はある。ただ、今は。ゆっくりこの存在を感じられれば。――それでいい。
緩む頬を自覚しながら、繋がれた手に力を込めた。
しばらく、そんな風にまったりしていたんだけど。ふと私は、京くんの右手に視線を送った。
確かさっき、壁、殴ってたよね……?
ちらっと見えた時は、怪我なさそうだったけど。あそこ、暗かったし。万が一にでも、怪我なんかしてたら、やだし。
少しづつ、距離を詰める。出来る限り身を乗り出して、顔を京くんの右手に近付ける。
だけど、それには限度があった。繋がれた手と逆のそれは、今、京くんの顔の下にあって。片手が拘束されている今の状態だと、どうにも見辛い。
……どうしよう。離すのは、嫌。でも、京くんが怪我してサッカー出来なくなったりするのは、もっと嫌。
迷った挙げ句、私は。
「よい、しょ」
小さく声を漏らしながら、京くんの大きな手から指を抜き取ることに決めた。
起きる前にもう一回繋いじゃえば、問題ない。そう思ったんだけど。
意外に強いその手の力に、もう一方の手も添えて引き剥がそうとした時。
「……何してるんですか」
「っ」
――いきなり、解けかけた指が、再び繋がれて。
さっきよりもずっと強い力で、彼の方へ引き寄せられる。急激に力が加えられて、私の身体はあっけなくバランスを崩し。京くんがさっきまでもたれていた手すりに、顔面をぶつけそうになった。衝撃に備えて、慌てて目を閉じる。
……その一瞬前に、私の身体は、ふわりと温かいものに包まれた。恐る恐る目を開けると、京くんが剣呑な目付きで、私を睨んでいる。肩を抱くその手は、京くんのもので。どうやら、私は上体を捻った状態で、京くんと向き合っているみたいだ。まるで抱き締められているような格好に、自然と頬が、熱くなる。視線を彷徨わせる私に、京くんはため息を吐いて。ゆっくり、私の身体を元の位置に戻してくれた。その手付きは優しいけれど、その顔は、依然として不機嫌そう。
「京くん」
「……」
「京くん」
「……何ですか」
どうして怒っているのかも、分からない。確か、寝起きが激しく悪いタイプでもなかったはずだ。
そう思って呼び掛けると、最初は無視。その次は、そっぽを向きながら。子供みたいなその態度に、苦笑しながら、繋がれたままの手を引っ張る。すると、ひどく面倒臭そうに視線を合わせてくれた。
「何で不機嫌なの?」
「……別に」
「本当に?手、痛くなった?」
「……はぁ?」
自分で、必死に京くんの機嫌が悪い理由を考えてみる。そして、それを素直に伝えると、京くんは眉を顰めた。不機嫌でも、真っ直ぐ綺麗な瞳に見惚れながら、必死で口を動かす。
「さっき、壁殴ってたでしょう?だから今、怪我の具合確認しようと思って」
「……」
「見にくいから、指、外そうと思ったんだけど。それで、起こしちゃったから不機嫌なの?」
考えられる理由は、この2つ。
そのまま伝えると、京くんは、しばらく私を見つめて。そうして、顔を苦笑混じりに歪めた。
「――あんたって、馬鹿でしたね。そう言えば」
「は!?何いきなり!!」
「いえ、俺が再確認しただけです」
そうですよね、ともう一度、頷いて。京くんは、笑ったまま、目を閉じた。
私はと言えば、いきなりの京くんの発言に、唇を尖らせるんだけど。その言い方は、あまりに優しくて。それ以上、怒ることも出来なくなった。
その後、もう一度指を見せるように促せば、素直に従って。さっきまでの不機嫌な様子は、どこにもない。
移り気な彼の心は、きっと一生。
私には、分からないんだろう。
『次はー……駅ー。……駅です』
ぽつりぽつりと、何気ない会話が交わされ始めた頃。私の家の最寄り駅に、到着した。無意識に、繋いだ手に力を込める。
嫌だ。
帰りたく、ない。
そんな私の気持ちに、応えたのか。
京くんも、手を握り返してくれた。繋がる温もりは、時々、言葉よりも雄弁だ。
今だけは。彼も、私と同じ気持ちだって、伝えてくれるような気がした。
だけど時間には、限りがある。二人黙り込む内に、電車は速度を落とし、ホームに滑り込んで。身体がグラリと揺れてすぐに、プシューッと音を立てて、ドアが開いた。
「……」
きっと、今日ほど開いたこのドアが恨めしくなった日は、ない。穏やかな時間の終焉が、涙が出そうな位、恨めしくて。私はそっと、その指を、解いた。
「……」
黙り込んだまま、私を見つめる京くんの視線が痛い。
どうしてさっき、離そうなんて、思えたんだろう。繋いだ時間は、ほんの数十分。なのに、彼の体温はこんなに馴染んでいる。なければ、違和感と、ありえない位の肌寒さを感じる、位。
ぐっと唇を噛み締めて、立ち上がる。視線を彼に合わせると、その迷いのない瞳の力は、私を迷わせた。
離れたくない。
例え、一瞬だとしても。
このまま、側にいたい。
そう叫びたい衝動を、堪えなえればならなくて。必死で笑顔を作る。
「……じゃあ、京くん。またね」
震えた声音に、どうか君が気付きませんように。無駄な願いを心中で呟いて、背を向けた。
すぐ近くにあった扉を抜けると、電車内との温度差が、はっきりする。刺すような冷たさが、すぐに私を蝕んで。でも、何より冷たいのは、そう。――手のひら。
ここにさっきまで、君が触れていた。そう思うだけで、どうしようもなく、冷え込む。
ぶるりと震える肩を抱いて、せめて見送りだけでもしようと、振り返った瞬間。
―プシューッ
「え、」
閉まるドアと、逆光の中、立っているのは――愛しい人。
言葉に詰まる私を気にも留めず、足早に近寄ってきて。乱暴に私の手を握ると、ぐいぐいと引っ張る。
何か言わなくちゃ。
そう思うのに、与えられた温もりに、心は揺れるばかり。ぼろぼろと零れる涙は、冷たい風と一緒に、流れていって。すぐ横を、風を切って走る電車を追うように、消えて行った。震える足を、必死で動かす。ただ、目の前の君に追い付くように――。
「コンビニ」
「……は?」
だけどそんな思考は、一瞬で壊される。
振り向かないまま吐かれた言葉に、固まった私にお構いなく、彼は暗いホームを歩き続けた。
「だから、コンビニどこですか」
「……駅前に、ある、けど」
「アイス、喰いたくなりました。案内してください」
絶句。
何だ、こいつ。私が、乙女チックな感傷に浸ってる間、アイスのこと考えてた訳!?
ただ驚くばかりの私を振り返り、京くんは感情のない目を向ける。頭を押さえて呆れる私の目元に、彼は指を這わせた。
「また、泣いたんですか」
「……だって」
言い訳をしたって無駄だ。未だに涙が零れる今じゃ、何を言ったって意味を持たない。まぁ、京くんのアイス発言に大分枯れては来たけど。なんて、内心毒づいていると、彼はふっと、ため息を吐く。
そして、真剣な瞳を私に浴びせて。
「別れ際に、そんな不細工な面、やめてください。胸糞悪い」
「な!?」
――ひどい暴言を吐かれた。
目を剥く私と対照的に、相も変わらず冷たい表情。
ていうか、冷たすぎない!?何、不細工って。悪かったわね、不細工で!!そんなのが今日からあんたの彼女よ、分かってる!?
内心絶叫して、頬を膨らませる。すると彼は、言葉とは裏腹に、優しく私の頬を撫で上げて。
「寂しいなら、そう言えばいいでしょう」
「、」
「言葉にしなきゃ、俺は、何もしてやりませんよ」
柔らかく。包み込むように、優しく。
逸らされないままの視線は、私に訴えかける。
私のこと、『好き』って。
徐々に染まる私の頬を、またもや冷静に見つめて。彼は唐突に背中を向けて、また、歩き出した。今度はさっきより、ずっと遅い歩みで。
それがまた、どうしようもなく愛おしくて。
くすくす、と口から漏れた笑いに、彼は不機嫌そうなオーラを立ち上らせた。
言葉にしなくちゃ、なんて言いながら。
君は私に手を差し伸べる。
どうしよう。君が、好きで仕方ない。
叫び出したい衝動は、きっとこれからも。
私の中で、燻り続けるんだろう。
だって、きっと。
――何百回、何万回、何億回、愛を囁いたって。
この胸の中の気持ちは、冷めそうに、ないもの。