逃げないし、逃げたくない。

君を想う気持ちから。

どうか、触れさせて。君の瞳の奥に。

どうか、触れて。私の瞳の奥に。


Eye for eye 7


「では、三年生……」
「「「「お疲れ様でしたー!!」」」」
 三月後半。
 現部長の合図を皮切りに、各テーブルで乾杯が起きる。私も、同じテーブルにいたマネの子や、二・三年生と乾杯をする。
 今日は、サッカー部の三送会だ。毎年恒例のこれは、飲酒厳禁・全員参加の無礼講。……三年生は、毎年文句言ってるけどね。「飲みたい」って。場所も居酒屋みたいな宴会場だから、仕方ないけど。万が一、一・二年年が飲んでるのがばれた時を考えて、そこまで強くは言えないみたい。まぁ、私は興味ないしどっちでもいい。お酒飲まなくても、空気で酔っぱらっちゃいそうだもの。とか何とか思いながら、部員の一芸を見て、唐揚げをつついた。
 すると、横にいたマネから話しかけられる。
「でも、天崎先輩すごいですよねぇ」
「何が?」
 
ん。この唐揚げ、おいしい。皮のぱりっと加減に感動しながら、視線だけ後輩に向ける。やけにキラキラした瞳に、首を傾げた。
「だって、滑り止め全部落ちたのに、第一だけ受かったんでしょう?」
「あー、まぁ、ね」
「逆なら聞きますけど、やっぱすごいですよ!」
「あはは。昔から悪運強いんだよ、私」
 ……
なんてね。心の中でぺろっと舌を出しながら、視線を奥のテーブルに向ける。そこには、――二ヶ月ぶりの、京くんがいた。見る度格好良くなっていくように感じるのは、きっと『あばたもえくぼ』って奴だ。受験で覚えた慣用句を脳内で浮かべながら、じっとその横顔を見つめる。
 ちょっと、やせたかな?前よりもすっきりして見える顎のラインに、『男の子』を卒業して『男の人』を感じる。ていうか京くん、私より誕生日早いしな。もうあと数ヶ月で、十八でしょ?そうしたら、同い年か。
「……」
 
京くんと、同い年。そう思うだけで、無性に嬉しくて、飛び跳ねたい気持ちになる。学年が違うから、そんなの意味無いのに。でも、嬉しい。すっごく、すっごく。
 三年生に首を絞められてる彼を見つめる内に。不意に、京くんの視線がこっちを向いた気がして。慌てて、目を逸らした。
 普通に、手を振ればいいのに。そう思うのに。

 会う度、好きになっていく。
 その瞳に、捕らわれていく。
 これ以上好きになれないって、いつも思うのに。
 ……なのに、覆される。
 好きになっちゃう。
 もう、まともに視線合わすのも、難しいくらいには。

 ――今日で最後、なのに。
 後悔したくないのに、こんな調子じゃあ、なぁ。思わず、口から大きなため息を零してしまう。慌てたように、マネの子に声をかけられた。
「先輩?どこか体調、悪いんですか?」
「え、あ、ううん、そういうんじゃないの。大丈夫っ」
 顔の前で思いっきり手を振って、これ美味しいよ、と彼女のお皿にシーザーサラダを取ってやる。喜ぶ顔を見て、ホッと息を吐いた。
 ……うん。こんな風に全員集まれるのも、最後だしね。だったら今日は、一生懸命楽しもう!!そう思って立ち上がり、壇上に上がって。
「六番っ、天崎彩芽!いきものがかり歌います!」
 
マイクに向かって、思いっきり叫んだ。おー、やれやれー、と部員の茶化す野次が飛ぶ。それに手を振りながら、曲を入れ、歌い始めた。
 
大事にしたい。この時間を。この場所を。
 忘れられない、大切な思い出を、くれた人達。その背中が、未だに瞳に焼き付くの。
 
不意に、去年の六月の、眩しい背中が瞼の裏に蘇って。愛おしすぎて、思わず、泣きたくなった。

「んじゃー二次会行くべー」
「うぃーっす」
 
楽しい食事の時間はもう終わり、今の時刻は九時。毎年、三送会の次の日の部活はオフだ。顧問の先生曰く、「あいつら使い物にならん」だそうで。だから、二次会のカラオケにも、結構多くの人が参加していた。私は、荷物をまとめて、反対方向に向かう。すると、後ろから可愛い後輩の声が、かけられた。
「あれ。先輩、行かないんですか?」
「うん。明日、早くから大学の説明会あるんだー」
「おいーマジかよ天崎ー。サッカー部の歌姫だろー?」
「いつから決まったの、それ。ごめん、またの機会にっ」
 苦笑しながら質問に答えると、別の部員が飛び出してくる。一応、三年の元部長と京くんには伝えたんだけど。もう一度、全員に頭を下げよう、と一歩踏み出した時。
「俺も、帰ります」
 ……
想像もしない台詞が、耳に飛び込んだ。
 聞き間違える訳、ない。この声を。だけど、信じられなくて。
 視線をそちらに向けると、やっぱり。京くんが、集団から抜けてきて。そして、――私の隣に、並ぶ。
「はぁ?京、何だよそれ!!先輩命令だ、最後まで残れーっ」
「そうっすよ、先輩。明日オフなんすからー」
「二人とも、行こうぜーっ」
 
一斉ブーイングを受けて、京くんは苦笑する。私は、顔が上げられなかった。隣で立っている、だけなのに。温もりや、この心臓のドキドキが、伝わるんじゃないかと思って。
 口を開けば、もう。「好き」って言葉しか、出て来なさそうで。怖くて、黙って立ちつくした。
 外はもう、真っ暗だけど。それでも、消えかけの街灯程度で、きっと私の思いは顕わになってしまう。それくらい、焦がれてる。その瞳に、その背中に、その笑顔に、その声に、……その存在に。
 自分でも怖いくらいの思いに、私はぎゅっと自分の手を握りしめた。
「明日、親戚の法事があって、朝早くに出なきゃやばいんですよ。先輩方、また来年の三送会も参加してください」
 じゃ、とひらりと手を振って、京くんは歩き出す。ぽかんとそれを見つめた私は、彼と部員を何度か見て。
「わ、私も帰るねっ。また今度っ、元気で!!」
 
手を振り、その背中を追いかける。真っ黒な学ランは、部活帰りの部員は、みんな一緒なのに。
 ――京くんだけだね。私をこんなに、夢中にさせるの。

「京くんっ」
「……」
「ま、待ってよっ。一緒の電車なんだから、一緒に帰ろうっ?」
 
走りづらいロングスカートと、パンプス。京くんに可愛いって思って欲しくて着てきたんだけど。こんな時、邪魔だって思ってしまう。京くんの側にいられないなら、こんなもの、何の意味もない。
 ぜぇはぁ、肩で息しながら、やっと早足の彼の隣に立った。私が追いつくと、ちらりと視線を向ける。妙に不機嫌そうなそれに、私は首を傾げた。
 何?何か、したっけ。うんうん、と考え込んでる内に、京くんは視線をまた前に向けて、早足で行ってしまう。
「っちょ、一緒行こうってばっ」
 
仕方なく、ぐいっと乱暴にその腕を引く。すると、やけに強い視線が、私を射抜いて。それにびくりとして、思わず腕を離してしまった。
「ご、ごめん」
「……」
 
謝るけど、何の反応もない。そんなに、嫌だったんだろうか。私と帰るのも、触れるのも。そう思うと、頭を地面に打ち付けたい位、落ち込んだ。
 私は、嬉しいのに。思いがけず、京くんと二人っきりで帰ることが出来て。京くんが私のこと、ちょっとは好きかもしれない、なんて。やっぱり、思い過ごしだったのかな……。
 我ながら痛くて、頭を抱えて、ため息を吐いた時。京くんが、ぴたりと止まった。顔を上げると、やけに光が眩しい。どうやら、駅に着いたみたいだ。バッグから定期を取り出すけど、京くんは動きそうにない。
 これは、先に行けってこと?
 ……先輩なんだし、そんなあからさまに避けること、ないじゃない。
 
愚痴りたい気持ちを、ぐっと我慢して、私は唇を噛む。
 問い質したい。何でこんなひどい態度取るの、って。でも、それで「嫌いだ」なんて言われたら。私は、それこそもう、立ち直れない。
 躊躇いながら、口を開いた。
「京く、」
「言いたいことあるなら、言ったらどうですか」
 
けど、それは途中で遮られる。
「……へ?」
 
まじまじと京くんの顔を見るけど、眉を顰めて不機嫌そうなまま。いつもの憎まれ口も、出てこないみたいだ。
 言いたいこと、って何?逆じゃないの?京くんが、私に、でしょ?そう言いたいんだけど、彼は私を見据えたまま、何も言わない。
 何だ、この状況。何で最後の日だって言うのに、こんな険悪ムードに包まれなきゃいけないの。泣きそうになりながら、必死で頭を動かした。
 
京くんに言いたいこと、なんて。たった一つしか、ない。
 まさか、それを察知してる?
 だから不機嫌顔な訳!?
 や、だったら最初から聞こうなんて思わないはずだし。
 だったら何?京くんは、何を求めてるの――?
 
縋るように、真っ黒なその瞳を見つめる。すると、彼はしばらくして大きなため息を吐き、定期を取り出して、さっさと先に行ってしまった。
「っえ、ちょ、待っ」
 
慌てて改札を通り抜け、その背中を追う。同じホームなのは分かってるけど、逃がしたく、なかった。
 もう、やだ。視界が、涙で曇る。
 何で私、こんな奴好きなの。
 子供だし、意味分かんないし、意地悪だし、むかつくし、優しい時なんてほとんどないのに。
 なのに。
「京くんっ!!」
 
暗いホームを、その背中が進んでいく。階段を駆け足で下りて、追いかけた。私の声なんて聞こえないみたいに、端っこへ進んでいく。こんな時間は、人はほとんどいない。月明かりに照らされて、ぼんやりとホームが光った。電子掲示板を確認すると、次の電車には二十分はあるみたいで。それまでに、仲直りしたい。そう思って、必死で走った。
「京くんっ、私、何かしたっ?」
「……」
「言ってよ、っ、子供じゃないんだからっ……」
 
髪もぐちゃぐちゃ。こんな姿、見せたくないよ。
 だけど、離れるのはもっと嫌で。必死に叫んだ。
 端まで辿り着いた京くんが、振り返ってこっちを見る。私を見る目は、呆れてるみたいだ。
 ……何よ。全部、全部、京くんのせいなんだから!!
 むっとして睨むと、ゆっくりこっちに近付いてくる。
「駅で大声出さないでください。馬鹿ですか」
「京くんの方が、馬鹿でしょっ。何考えてるのよっ」
 
冷たい言葉に、びくりとする。でも、その声音はほんの少し、優しく聞こえるから。だから私は、素直に言い返した。京くんはため息を吐くと、いきなり、私の頬にゆっくり手を伸ばす。
「っ」
 
私は思わずその手を、避けてしまった。
 ――気まずい沈黙が、流れる。慌てて言い訳をしようと、口を開く。
「ご、ごめ、あの、私ね?多分今、汗かいててっ」
「……」
 
無言。
 ああ、どう言えばいいのよ!!
 だって、言えないじゃない。「京くんが触れると、ドキドキして死んじゃいそうなので、思わず避けちゃいました」なんて。言える訳がないでしょー!
 わたわたと、何とか言い訳を繰り返すんだけど、京くんは無言で背を向けて。
 ―
ガンッ
「っ」
 ……
近くの壁を、殴りつけた。慌てて、その背中に駆け寄る。
「け、京くんっ、手!」
 
それ、右手だよね?利き手だよね!?怪我してたら大変じゃない!
 そう思って、手を伸ばしたんだけど。
「あんたがっ」
 ――京くんの苦しげな声が、私を引き留めた。
 ゆっくり振り返るその顔の後ろに、月が出ていて。逆光なのに、よく分かる。その顔が、……ひどく痛がってるの。気付いた瞬間、心臓が刺されたように、痛くなった。

 私、だ。
 今、京くんを、傷付けてるの。

 京くんは黙って手を下ろし、拳をぎゅっと握る。ちらりと見えたそれに、外傷はなくて。私は、こんな状況なのに、それにホッとしてしまった。
「あんたが、そういう風に、するから」
 
だけど、京くんの声に意識は巻き戻る。じっとその瞳を見つめると。私が好きになったあの瞳とは思えない位、頼りなく、揺れていて。声も、出なかった。
「……店でも、目も合わせねぇし。今だって、なんな訳?何考えてるんだよ……っ」
 目の前の男の子は、誰?
 不安定で、頼りなくて、今にも、消えそう。
「俺のこと、」
 
月明かりに照らされるその姿は、悲しい位、必死で。

「俺のこと、嫌いなのかよ……」

 ――悲しい位、愛おしい。

 私は、そっと手を伸ばした。頬に触れると、彼はほんの少し、瞳を和らげる。
 その温もりに、心臓は、ひどく騒ぐのに。どうしようもなく、満たされる。その全てに。
 震える唇で、私は、言葉を音にしようと、必死だった。
「目も、合わせられないの」
「……え?」
 
何を言っている、と瞳は雄弁に語る。その光に応えるように、こくりと頷いて。もう1歩、前に進んで。両手で、その頬を包んだ。
「触れるのだって、触れられるのだって、もう、簡単には出来ないの。苦しいの。京くんと、一緒にいると」
 月光は、人を惑わせると言うけれど。それは、本当なのだろうか。だったら、私が今口にしているのは。
 真実(まこと)か、まやかしか。
「でも、それ以上に、」
 それすらも、分からない。だって、私は最初から。
「京くんの側にいたくて、仕方がないの」
 君に、惑わされてる。

 言い切って、大きく息を吐く。指に伝わる温もりに、予想以上に緊張していたらしい。そろそろと、頬から指を離した、瞬間。
「……本当に?」
 
へ?
 呆然とした京くんの言葉に、顔を上げる。いつも眠たそうな瞳は、今大きく見開かれてる。
 何、本当に、って。私、何か変なこと、
「っっっ!?」
 
――言ってるじゃん!いやもう、思いっきり言ってるじゃん!一生懸命だからって、限度ってものがあるだろう、自分!
「っあの、あの!」
 
やばい。顔が、熱い。
 誰がどう聞いたって、今のは、120%、告白でしょー!うわぁうわぁうわぁ、戻りたい。三時間前の自分に、戻りたい。いやもう、マジで!タイムスリップの力、私に舞い降りて!
 だけどそんなもの、下りてくる訳なくて。私の頬はますます赤くなり、京くんがそれをじっと見ていて。その視線に耐えきれず、ずりずり後ずさりして、背中を向ける。
 もう、どこかに行っちゃいたいんだけど。本当に。
 自分で自分が、どうしようもなかった。制御なんて、全然効かなくて。
「……、」
 
!今、絶対京くん笑った!そんな気配した!いや、怖くて振り向けないんだけど!
 て、私。今、動揺で一杯なんだけど、振られたらどうするの。
 考えてなくて、今更ながらに固まった。
 どうしよう。もう、顔見れないし、メールなんか出来ない。今日言うつもり、無かったのに。こうなるのが、嫌だったから――。

 今更ながら、涙が浮かんできた。瞼が熱くて、仕方ない。
 なのに。

「先輩、俺のこと、好きなんですか」
 何であんたはそういうこと聞くのーーー!?
 後ろからの淡々とした言葉に、内心絶叫しながら、必死で下を向きたい衝動を堪えた。俯いたら最後、涙が止まらなさそうで。
 ……まさか、ここまでひどい奴だとは思わなかった。もう、嫌だ、本当に。

「っ悪いっ?」
 逆ギレして、必死に叫んだ。泣いたら京くん、ちゃんと慰めてよね!全く期待してないけど!
 強く唇を噛んで、気持ちを抑える。抑えきれるなんて、思ってないけど。こんな、強い気持ちを。それでも、悔しくて。京くんが隣に立っても、私は視線を前から、絶対にずらさなかった。
 負けるもんか。素直に、虐められてなんかやるもんか!
 意地になった私の耳に、
「――」
 
何かが、聞こえた。
「……え?」
 
視線をほんの少しずらすと、どこからか飛んできた、桜の花びら。
 淡く色づいたそれは、月明かりの下、白い輝きを放って。
 星輝く闇に、高く舞い上げられていく。
 そして、私は。

「――別に」

 ――指先に感じる熱に、縫い止められた。

 私の左手を覆う、大きな手のひら。
 春の夜に吹く風は、ひどく冷たい。
 だけど、私の左手だけ。熱くて、仕方なかった。
 じっと、その手を見つめる。黒く焼けて、骨張ったその手を持つ人は、ここではたった一人しかいない。緩やかに絡められたその指に、私は、何故か涙が零れて。顔を上げても、そっぽを向いたままの彼。
 でも。
『間もなく、電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』
 
ホームに滑り込む電車のライトに照らされる、その耳は。鮮やかに、赤く、色付いていた。
「……馬鹿、じゃないの」
 
思わず、口から本音が漏れる。
 さっきの言葉と合わせれば、京くんは、きっと。
 気付いてしまえば、どうしようもない。ぽろぽろと落ちる涙を、拭おうとも思わなかった。

 
子供だし、意味分かんないし、意地悪だし、むかつくし、優しい時なんてほとんどないのに。
 なのに、――好きだ。
 馬鹿みたいに、この人しか、思えない。
 不器用で、優しくなくて、とんでもなく口下手なこの人が、好きで仕方ない。

 しばらく黙った後、京くんはぽそりと呟いた。
「うるさいです」
 
やがて、電車は勢いをなくし、私達の目の前で止まる。眩しいその光に、月明かりに目が慣れた私は、一瞬目を瞑るけれど。京くんは、開いた扉へさっさと飛び込んだ。
 
私の手を、引いたまま。




あの日、私が焦がれた瞳。
それはずっとずっと、私の側で輝き続ける。
私が愛した君ごと。
だから君にも、私をあげよう。
君が望むだけ、ずっと、ずっと。

  

inserted by FC2 system