これから先も、何年経っても。

君を思う私がいる、そんな気がする。

予感じゃない、確信に近いほどに。


Eye for eye 2


 六月後半。インターハイ予選、県大会。決勝戦のPKを経て、私達は負けてしまった。サッカーは十一月の大会がまだあるから、それまで残ることができるんだけど。私は散々迷った末に、引退することを顧問に報告した。志望大学の勉強もしたいし、私が必要以上に残って後輩マネージャーが育たないのも、困る。他の三年生には、残るよう言ってくれた子もいたけれど、私がそう言ったら、みんな、応援してる、そう言ってくれた。
 ――京くんは、私に何の言葉も、くれなかったけれど。
 別に私が気持ちを自覚したからと言って、何か変わる訳でもなかった。自分でも驚くくらい、私は京くんに平然と接していた。京くんも、私の気持ちなんて勘付くはずもなくて。
 だって今更、気付いたところでどうすればいいのか。ずっと弟みたいに接してきた男の子を、好きな男の人として扱うなんて、そんな方法、考えつかなくて。何の進歩もできないまま、時間は過ぎてしまった。
 ……正直、どうして自分、何もしなかったんだろう、って思う。引退して今更、気付いてしまったのだ。一学年差っていうのは、予想外に大きい。廊下を歩いても、階が違うから、京くんに遭遇することはない。学食に行っても京くんはいないし、そもそも学食を利用するのかすら知らなかった。帰りの電車だって、帰る時間が違うから一緒になることもなくて。
 部活に行けば、会えたから。その状況に甘えて、私は何もしようとしなかった。そのツケが今更来てしまったことを、――正直、ひどく悩んでいる。

「あつぅ」
「止めて彩芽(あやめ)〜……口に出すと余計暑く感じる……」
 ぐったりとした口調で文句を言われて、軽く「ごめん、」謝罪を口にする。
 ああでも、暑い。拭っても拭っても止まらない汗に、小さく息を吐いた。
 受験生モードに入って、約一ヶ月。今日から夏休み開始!!……なのだけれども、学校で夏期補習があるので、この暑い中、蒸し暑い教室にいる。うちの学校にはクーラーが付いているけれども、原則、先生しかクーラーを点けちゃいけないことになっている。先生が来るまでは、下敷きでパタパタと自分を扇ぐしかないわけで。
 ……悲しきかな学生とは。もう一度、ため息を吐こうとした瞬間。
「あ、サッカー部だ」
 
友達の一言にドキリとして、息を飲み込んだ。不自然にならないよう、そっと窓の外を見る。校舎と体育館の隙間から見えるグラウンドには、五十人前後の軍団が走っていて。遠くて、誰が誰だか分からない。
 分からない、のに。
「この暑いのにご苦労さんじゃない?」
「あはは、本当。元気だよねー」

  ――なのに、こんなに緊張してしまう。
 あの中に京くんがいるのだと、そう思うだけで。
 あの瞳を、思い出すだけで。
 無意識に、彼らを目で追ってしまう。
 視線を外すのすら、精一杯の努力をしなければならない、ほどに。

「じゃあ彩芽、今日勉強してくの?」
「うん。ごめんね、先帰ってて」
「りょーかい。じゃ、また明日ね〜」
「ばいばい」
 昇降口で友達に手を振って、その軽やかな背中を見送る。これから他校の彼氏とお勉強デートだそうだ。全く、羨ましいことで。自分には縁遠い話だと思いながら、教室に教科書を取りに行こう、と踵を返した時。
「……あ」
 数歩先を歩く、泥まみれの背中。見間違えようもない、その広い背中を見た瞬間、足は勝手に動き出していた。気怠げながら、さっさと進んでいくその背中を追いかけて、小走りし、手を伸ばして。
「――京くんっ」
「……天崎(あまさき)先輩」

  軽く肩を叩きその横に並べば、いつもと同じ、気の抜けた色が返ってきた。ますます日に焼けた肌や、太陽で痛んで少し茶色くなった髪、がっしりとした身体付き。その全てが、一ヶ月前とそんなに変わらないはずなのに、全部、変わった気がして。私が知らない、遠い遠い人になってしまったような、気がして。
 ああ、辞めなければ良かった、そう思ってしまった。
 こんなに寂しくなるなんて、予想外だったんだもの。まさか、こんなに――。
「先輩は、補習すか」
「え、あ、うん」
「赤点じゃないですよね?」
「な、私を何だと思ってるのっ」

  不意に声をかけられて、慌てて返事を返す。戻ってきた言葉は、いつも通りむかつく言葉で。むきになって怒鳴ると、悪ガキみたいに無邪気に微笑む。それを見て、ハッと息を呑む。
 あー、もう、京くんは、本当に。良くも悪くも、この子は、ずるいんだから。昔っから。
 
苦笑してしまった私を訝しげに見つめる視線を感じながら、何も言わなかった。ちらりと京くんの瞳を見て、今度は私から、話しかける。
「京くんは?どうしたの?まだ部活中なはずでしょ?」
「今は昼休みです。で、宿題のプリント教室に忘れたんで、取りに」
「……京くんて意外とうっかり屋さんだよね」
「天崎先輩には言われたくないんですけど」
「私はしっかりしてますからー」
 ふん、と胸を張って言うと、どこが、と呟かれる。それに無言のまま、軽く拳を振りかざせば、さらりと交わされて。そんな、色気も何も無いような瞬間が、どうしようもないくらい。本当にどうしようもないくらい、――胸が高鳴ってしまう。
 いつも通りの皮肉げな微笑みも、
 不意打ちに見せる子供のように無邪気な笑い方も、
 黙り込んだ瞬間、妙に大人びる横顔も、
 その、何もかもが、私の知ってる、京くん。
 私の好きな、京くん。

「じゃ、もう部活行くの?」
「はい。先輩も、せいぜい勉強頑張ってくださいね」
「……何であんたってそうむかつく言い方しか出来ないのかしらね」
 
京くんと一緒に喋りながら、もう一度昇降口に逆戻りした。予想とは違ったけれど、予想以上だったから、文句なんて、あるはずない。ま、そういう乙女な気持ちをこの朴念仁に理解してもらおうなんて思いませんけどね、ええ。
 はぁ、と大きくため息をはき出した瞬間、――おでこに走る、と小さな痛み。「ぃた、」と反射的におでこを押さえる私を満足げに見る京くんと、目があった。
「……ちょっと」
「何ですか?」
「先輩相手にでこピンて、生意気にも程があるんじゃないの」
 じろりと睨み付けても、少しも反省する態度はない。余裕そうに口の端を上げて、鼻で笑われた。

「今更、天崎先輩を先輩扱いしてどうすんですか」
「……あんたってホンット失礼だよねっ」
「褒め言葉をどーも、」

  力強く睨んでも、小馬鹿にしたような態度のまま。背中を向けられて、肩越しにヒラヒラと手を振られた。そのまま、あっという間に歩いていくその背中を見届けて。
 それでも、痛みなんて感じないくせに、私はおでこから手が離せなかった。




――まさかこんなに、好きになるなんて、思わなかったの。
一言一言に緊張するくらい、
触れた指先が熱く感じるくらい、
その瞳に射抜かれる度、手が震えるくらい。
私の中、こんな満たされるなんて、想像もしなかったのに。
それなのに君は、いとも容易くこの心に入り込んで、しっちゃかめっちゃかにするから。
歩き出すその背中を、思いっきり蹴り飛ばしたくなったのは、内緒。


  

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