君にとって、私はなんだろう。

望んじゃ、いけない。期待しちゃ、いけない。

それでも、私は君が好きで。


Eye for eye 3


 新学期が始まって、しばらく経ったある日。夏休みから予備校に通い始めて、本格的に受験生になった私があまり触れなくなった携帯に、ある日、部活の後輩から届いたメール。それは私が首を傾げるものだった。
「でも、それ本当に私でいいの?」
『や、天崎先輩に力貸してもらえればかなり助かります!お願いです!』
「はぁ。まぁ、いいけどさ」
『っと、あ!すみません、俺授業始まるんで!』
「あ、うん」

 慌てて切られた電話に、私はただ呆然とするばかりだった。
 ……なんだかなぁ。メールが来た時点で、何なんだとは思ったけど。本当に、いいのかな。
 頭を悩ませる私を余所に、授業開始のチャイムが鳴る。二時間続きの数学の授業は、いつも通り自習。というか、受験に使わない人は出席だけとったら別室で自習なのだ。私は文系なので、今の時間は自習で、いつも通り参考書を手に持ってるんだけど。

「はぁ」
「あれ、どうしたの彩芽?」
「んー、ちょっとさぼる。お昼休みには戻るから」
「了解」

 ひらひらと手を振られ、苦笑気味に教室を出る。廊下は、しんとしている。進学校なうちの学校では、授業をさぼるような生徒はめったにいないのだ。かく言う私も、自習であろうと授業中に教室の外に出ることは無かったし。別に先生に会っても、「教室に参考書を取りに行くところです」って言えばいいから問題ないんだけど。
「うーあー……ドキドキする」
 
根っからの真面目っ子な私には、この状況、心臓に悪い。大きく深呼吸しながら、北棟の階段を早足で上る。後輩の話じゃ、鍵は壊れているから別に問題ない、って言ってたけど。そもそも、生徒用の校舎は西棟と南棟だから、そっちの屋上にしか行ったことがない。それも最近は暑いから遠慮してたって言うのに。
 でも、行かなきゃ。
私で本当にいいのか、何ができるのか、分からないけど。
 ――でも、私が。いたいんだ。誰よりも、側に。

 息を呑んで、ぐっと屋上に続くドアのノブを握る。ゆっくり回せば、後輩の言葉通り、何の抵抗もなく、かちゃり、と僅かに開くドア。さっきよりはるかに緊張する鼓動を感じながら、ドアを開けた。
 目を刺すほどの、眩しい、光。広々とした空間を囲う、高いフェンス。
 そして。
「……何で、天崎先輩がいるんですか」
 
大好きな、大好きな人が、そこにもたれて座り込んでいた。

「何で、って」
「田中あたりになんか言われたんですか」
「……」
 
昔から、口がいいとは言えない子だったけど。今の言い方は、何て言うか。すごく、刺々しい。こちらを見やる京くんの瞳も、ぼんやりしていて、歓迎はされてない。予想通り。
 田中くん、全然話違うじゃない!何これ!「天崎先輩だったら京も嬉しいだろうから」って!
 あーあーあーあーもう帰りたくなってきたよ……。だって、それは仕方ないじゃない。ずっと、会いたかったけど、さ。

「まぁ、そんな感じ」
「だったら帰っていいですよ。正直、邪魔です」
「っ」
 
好きな人に厄介者扱いされて、それでも一緒にいたい?って聞かれれば、答えはNOだ。正直、京くんの言葉一つ一つが突き刺さって、ものすごく痛い。でも、かなりのダメージを受けてる私を気にも留めず、京くんはフェンスの向こうに視線を移してしまった。
 ……もう、帰っちゃおうかな。ていうか、これ、絶対私じゃ駄目じゃん。京くん別に、私に特に懐いてたわけでもないし。むしろ逆だし。
 ため息を吐いて、上履きの爪先をそっと、ドアに戻した、その時。

『今、京、本当に辛いと思うんです。天崎先輩が大変なのも分かってるんですけど、……お願いします!』
 
田中くんの必死な声音が頭に蘇って、私は足を止めた。

* * *

 そもそも、全ての始まりは田中くんから届いたメールだ。「最近、京と連絡取ってますか?」って。不思議に思いながらも、別に部活を引退してからは必要もなかった私は、「全く」という内容を返した。すると、予想外の返事が返ってきた。
「京、最近元気ないんです。部活で部長になってからプレッシャーとかあるみたいで、肩に力入り過ぎって言うか。顧問からもすごい期待されてるせいか、疲れちゃってる感じなんですよ」
 
正直、驚いた。まだ私以外の三年生はチラホラ残ってるし、だから彼らに相談してないのか、と聞いても。プライドの高い彼は、決して人目にそんな様子を表さないみたいで。多分、今のところ気付いてるのは幼馴染みの田中くん位らしい。
「昔からあいつ、そういうリーダー系のプレッシャーに弱いんですよ。でも、ぱっと見表情変わらないから気付かれなくて」
「……で、何で田中くんは私にそれを言ってきたの?」
「えっと、ですね」

 新学期が始まってから数日後、詳しくは直接話したいと言われ、放課後二人で話した。その時に京くんの様子とかを全部言われたんだけれども。私には、どうしてそれが言われたのか、さっぱり分からなかった。だけど田中くんは、私の言葉に苦笑して。
「京、天崎先輩がいた時、すごく楽しそうだったんですよ」
「……はぁ?」
「いや、マジで。あいつ気に入った相手をいじめるのがストレス発散法っていうひん曲がった奴なので」
「本当にひん曲がってるね、それ」

 かと言って、そんなこと言われても実感は沸かない。困った表情を浮かべる私に、田中くんは苦笑した。
「で、お願いなんですけど。京と、たまに会ってやれませんか?」
「会う、って。休日とか?」
「いやいや、そこまで天崎先輩の時間取ったりはできませんって。……授業中、です」
「はぁ!?」
 
田中くんの提案は、全くもって予想外だった。だけど、田中くんが言うには、京くんは最近、たまに授業をさぼってるらしい。三年生はもう自習時間が多いし、出来ればその時間に会いに行ってやって欲しい。本当に心配そうにそう言う田中くんに、私は渋々OKした。私なんかが、京くんの機嫌に貢献できるとは思えないけど。そう言うと田中くんはとてもホッとして笑ったから、まぁ、やるだけやるか、と思って。
 その後、京くんがさぼって私も自習の時があったら、田中くんが知らせてくれることになって、今日を迎えることになる。

* * *

 ――別に、私に何かできる、なんて思ってない。
 でも、でも。引退前。気持ちを自覚する前、私、京くんにどう接してたっけ?
 ぐっと拳を握って、ドアを思いっきり閉める。ばん、と響いた激しい音に、京くんはわずかに目を見開いて、私の方を見た。そんな彼に向かってずかずかと大股で歩き、その隣に腰を下ろす。
「話、聞いてました?」
「聞いてませーん。不良後輩の言うことなんて聞きません」
「……先輩だってさぼりでしょう」
「私は自習。京くんは、違うでしょう?」
 
呆れたような物言いにあっさりと言い返せば、大きなため息。
 ……うん。田中くんの言うとおりだ。確かに元気ない。だって、いつもの京くんだったら私をやり込めるまで言い返し続けるもの。

 引退前の京くんと私の関係は、『けんか友達』。お互いがお互いに、素直な気持ちを吐き出してた。だから今更、京くんの機嫌に私が一喜一憂する必要、ないじゃない。
 私がここにいたいんだもの。京くんなんて、気にしてやらないんだから。
 つん、とすました私に、横の京くんは失笑のようなものを零した。
「ったく。相変わらず、ガキで人の話聞かないんですね」
「なっ?それって京くんでしょ!?」
「俺は大人です。天崎先輩はガキです。話してて疲れます」
「むー!あんた何様よそれ!」
 
完全に身体を京くんの方に向け、文句を叫べばにやりと意地悪く笑われる。それにどきりとしながらも、何だか、安心してしまった。
 良かった。ここにいるのを、嫌がられていない。私の存在を、認めてくれてる。自分でも、気付かないうちに不安になっていたみたい。それが、京くんの微笑み一つで簡単に掻き消されてしまうのは、我ながら単純だと思うけど。
 だけど不意に京くんは、顔を斜めに傾け、じっと私の顔を覗き込んだ。
「……本当に、天崎先輩は、お節介で面倒くさい人ですね」
「っ、別にいいでしょ!」
 
真剣なその瞳と、柔らかく緩んだ口元のギャップに、どぎまぎしてしまう。
 ――いつの間に。こんな表情、覚えたんだろう。大人と子供。アンバランスな、あまりに魅力的な、その笑顔に。全てが吸い込まれてしまいそうな気がする――
「……そうですね」
「へ?」
 
だから、不意にかけられたその言葉に、一瞬反応できなかった。間抜けな返事をする私に、京くんは眉を顰め、大きくため息を吐く。そうですね、って、直前の会話って何を、……。
「……っ」
 
それって、それって。京くん、私の存在、そんなに嫌じゃないってこと!?
 っうわぁぁどうしよ、嬉しすぎる……!のぼせちゃいそうだよ、そんな台詞。真っ赤に染まる頬を見られたくなくて、慌てて身体を九十度反転させ、京くんと同じ方向を見る。

「そ、空、き、綺麗だね」
「そうっすね」

 適当に選んだ会話は、あまりにぎこちなく、成立してくれない。
 っああもう!こんな気持ち、芽生えなければ良かったのに!そしたら、もっと気楽に話して、こんな苦しくなくて、それでもって、――こんなに愛しく、ならなかったのに。

 きゅっと唇を噛んで、そっと、京くん、と呼びかける。しばらく沈黙が下りてから、何ですか、と気のない返事。
「また、来てもいい?」
 
それとなく言おうとした台詞はかみそうになりながら、やっと言えた。返事が返ってくるまで、心臓は常に最速状態。
 ああ、もう。駄目なら駄目、とか。さっさと止め刺してよ!
 お互い口を開かないまま、しばらく過ぎて。
「……勝手にどうぞ」
 
気のない素振りで京くんがそう口にしたとき、馬鹿みたいに心臓が痛くなった。




分かってるんだ、私だって。
もう、無理だって。
いくら好きになってなかったら、って考えたって。
きっと私、京くんが京くんである限り、好きになっちゃったはずだから。
夏の空気を肌で感じながら、どうしようもなく愛しいこの人の瞳を、そっと思った。


  

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