俺には、幼馴染みがいる。

滅茶苦茶むかついて、滅茶苦茶面倒くさくて、滅茶苦茶鈍感な。


Eye for eye 4


「ランニング終わったら、次は順番にグラウンド入れ!」
 遠くで、一年生に指示するあいつの声が聞こえる。友達と柔軟をしていた俺は、ちらりと視線をそっちに向けた。表情的には、何も変わりはない。ふむ。ぐでーっと地面に寝そべっていた俺の視線を追った友達は、ああ、と頷いた。
「最近、京機嫌いいよな」
「やっぱそう思う?」
「京マニアが何言ってやがる」
「……それ、いい加減やめてくんない?俺が京のこと、大好きみたいじゃん」
「実際そうだろ!」

 照れるなよ、と肩を思い切り叩かれる。痛い。お前、馬鹿力なんだからちょっと考えろっつの。殴り返そうとしたけど、その前に京がこっちを見たから、慌てて身体を起こした。そのまましばらく経っても何も言われないので、息を吐く。
 ……やはり、機嫌はいいらしい。その原因も知ってる俺からすれば、何だかなぁ、って感じなんだが。

* * *

 俺の幼馴染み兼サッカー部の部長兼エース。西宮京。家が隣同士で、小さい頃から一緒に遊んでて、少年団も一緒。小中高と、一緒のクラス。
 だけど俺と京が仲がいい理由は、俺が京の感情を何故か読み取れてしまうからだろう。
 
京は、小さい頃から感情があまり表情に出なかった奴だった。面白い時は笑うんだけど、何つーか、怒りとか悲しみとか嬉しさ、が出にくい奴なんだ。しかも何故かあいつは感情と逆のことを言ってしまう癖があるから、尚更。
 PTAのお菓子が京の分だけ足りなかった時は、顔には出してなかったけど相当へこんでた。
 小学校の時、京の初恋の女の子を勝手に友達の一人が暴露したら、無表情で殴り倒してた。(しかし実はその子も京を好きだったのが発覚して、結局ハッピーエンドだったんだが)
 そんな時、何故か俺はいち早くそれを察知できる。周りの連中が気付かない時、どうどう、と京を宥める。あれで感情を溜め込みやすい京は、ある日いきなりキレてしまうことも少なくなかった。
 だけど、それは高一までの話。高校から、こいつは随分分かりやすい奴になった。というか、自分からそういうのを出すのが上手くなった、と言うのか。
 それは、全部。マネージャーである、天崎先輩のお陰だと俺は思っている。つーか絶対。京本人は気付いてないけど。

 天崎先輩は、俺らの一コ上のサッカー部のマネージャーだ。平均よりちょっと高い身長に、肩までのボブヘア、なかなかに可愛らしい顔立ちをしている。しかし、彼氏がいたことは無いらしい。俺が思うに、それは天崎先輩が非常に素晴らしい性格をしているからだと思う。
 思ったことは素直に言う。
間違ったことは絶対にしない。 しかし、頼まれたらNOとは言えない。
 
義理人情があり、活発で茶目っ気もあり、空気も読める先輩は、彼女にするには勿体ないのだ。友達として、一生付き合っていきたいタイプ。まぁ、放っておいても先輩は確実に良い男を射止めると思う。あの人が選んだ相手なら、悪いはずがないだろうし。
 でも、俺としては。
「先輩、京なんてどーでしょうか」
 
なんて、言いたい瞬間がある。

* * *

「京くんのばーかばーかばーか!その内やり返すんだから!」
「あんた、悪口のレパートリーもうちょっと無いんですか」
「あーっ!むかつくっ!」
 
去年の、七月のこと。
 休憩に入って、友達と話しながら水道場に向かった時。大声で叫ぶ天崎先輩と、夏なのに涼しげな京の声が聞こえた。角を曲がって二人を見ると、天崎先輩が顔を真っ赤にして怒ってる。京はそんな彼女を見て、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、また小憎たらしいことを言っていた。「あの二人、またか」と笑う友達。だけど俺は、ごくりと唾を飲み込んでしまった。
 
入部して最初の頃は、京は天崎先輩とそんなに仲良くなかった。と言うか、天崎先輩はこまめに声かけてくれたのにあいつがツンケンしてたと言うか。いわく、「うるさい女は嫌い」だったそうだ。
 しかしその後、メキメキと頭角を現した京は、先輩達と仲良くなり。その時、他の先輩達が彼女をからかったのをきっかけに、自分もからかうようになったらしい。今では一日一回はしょうもない、子供じみた諍いが行われている。
 ――でも、俺にとって、そこは重要じゃなく。
 京が、笑ってやがる。ほんの十分前まで、先輩と意見が合わなくて苛ついてた、京が。それが心配でこっちまで覗きに来たのに、今ではもうそんな雰囲気は消えていて。ただ、純粋に楽しそうだった。
 ……参った、これは。
 
思わず苦笑して、髪を掻き上げる。俺だってこんな手際よくいかない。これは、見事すぎます。
 二人に笑いながら仲裁に入る友達の背中を追いながら、俺は天崎先輩を見つめる。
 可愛らしい、と言っても、顔が特別飛び抜けて可愛い訳でもない。でも、その才能は、ある種飛び抜けていた。
――先輩は、人との距離の取り方が抜群に上手いのだ。だから最初は先輩を敬遠する奴も、次第にほだされていく。その諦めない性格と真っ直ぐな笑顔を嫌う人は、めったにいないと思う。だけど先輩は、それだけじゃない。人に踏み込まれたくないタイプには、わざとか無意識か分からないが、突っ込んでいかない。それは会話をしないという訳じゃなくて、相手のことを根掘り葉掘り聞いたりしないのだ。まず自分の情報を与え、応えたくなったら応えて?と、あくまで受け身でいる。その包み込むような姿勢に、京は心開いたんだろう。
 
もともと、京は人に心開くタイプじゃない。誰相手でも、普段は素っ気ないし。(しかしそこがクールでいい、と一部の女子に人気だ)だけど天崎先輩は、いつだって、誰にだって全開。その状態は完全に無防備で、ちょっと不安にもなるんだが。……逆にそんな先輩だから、誰もが先輩を、大切にする。先輩が誰もを、大切にするように。
 
それからずっと、京は天崎先輩に甘え続けた。甘える、って言うとおかしいかもしれないが。俺から見ると、そうなんだ。何かむかついたり落ち込むことがある度、天崎先輩を見つけて飛んでいき、からかったり馬鹿にする。それで天崎先輩の意識を自分に向けられるのが、非常に嬉しいらしい。俺でも見たことないような、無邪気な顔を先輩に見せる。それを見ると先輩も仕方ないな、とため息を吐いて笑っていた。
 甘い。甘すぎる、先輩。と、思いつつもホッとしてる。
 
俺が知る限り、京は俺以外にそういう相手がいなかったのだ。京の感情の振れ幅に気付く奴がいなかった、と言うか。でも、天崎先輩も気付いてないはずなのに、いつだって優しく、甘い。そして笑って、京のガス抜きを上手に済ませる。端から見ればただのじゃれ合いだけど、俺からすれば、それは京の、先輩に対する屈折した愛情表現だった。親猫に構って欲しくて爪を尖らせる、子猫のような。
 
だからこそ。先輩が引退してからの京は、迷子の子供状態だった。
 部長になって緊張してプレッシャーもあるから、ストレスもたまる。
だけど、京の甘えたい人は、側にいない。 昔だったら、俺で十分だった。だけど俺じゃもう、駄目だった。本人は気付いてないだろうけど。
 京が甘えたいのは、側にいたいのは、笑ってほしいのは、先輩だ。あいつはいつだって、暇な時、マネージャーの待機所を見ていた。そして、そこに先輩がいないのに気付き、ため息を吐く。

 そうこうしている内に、二学期が始まり。俺のガス抜きも段々期間が短くなり、とうとう京は授業をサボってまで一人の時間を欲しがるようになって。
 ずっと、我慢していた。天崎先輩には、いつか良い男が現れるだろう、と思って。だから、優しい天崎先輩に京は任せられない、と思って。
 でも、駄目だ。俺は。

『もしもし、田中くん?今日のメール、何だったの?』
 
――自分でもびっくりする位、京のことが大事だったらしい。

* * *

 結果は、最近の京を見てりゃ分かる。最初の時は、散々文句を言われたけど。今は先輩が時々構ってくれて、かなり嬉しいらしいので、特に何も言われない。プレイの調子も上々で、俺達としては助かってるけど。
 ……先輩には申し訳ない、と思ってる。
 多分、先輩は。誰が相手だって、幸せになれる。幸せに出来る。それだけの力を持ってる。
 でも、京は、駄目なんだ。あいつは、先輩じゃなきゃ、幸せになれない。
 だから、すみません。天崎先輩。
「田中。お前いつまで座りこんでるんだよ」
「っわ!」

 ぼーっと空を見てたら、背後から黒いオーラ。慌てて振り返ると、京が眉を顰めて立っていた。
 やばい。キレない内に早く動こう。そう思いダッシュで立ち上がると、大きくため息を吐かれた。
 ……良かった。お仕置き、無しか。俺も思わず息を吐くと、京は無表情のまま、俺に背を向ける。俺は黙って、その首に腕を回した。

「なぁ、京」
「暑苦しい、重い、うぜぇ、離れろ」
「お前、そこまで言うかぁ?」
 
予想通り、かなり鬱陶しそうな顔をされる。だけどそんな訴えを放っておくと、何だ、と短く聞かれる。よく分かってますね、京くん。俺がお前を理解してる位には、お前が俺を理解してくれて嬉しいよ。
 だからわざとらしく、にやけてみせた。
「お前、今、幸せ?」
 
――答えてくれよ、なぁ、京。
 俺さ。何か、お前のこと放っておけないんだ。三人兄弟の末っ子のお前は、三人兄弟の長男の俺にとって、可愛い弟分なんだよ。だから、ちょっと寂しいけど。
「んだよいきなり。気持ち悪ぃ」
 
お前のこと、天崎先輩に任せたい。
 そんで、天崎先輩のこと、お前に任せたい。
 んや、本当はずっと前から、任せてた。
 あの人は、本当に良い人だから。そんでお前も、可愛い弟分だから。
「べーつに。ランニング行ってきまーす」

 だから。
 素直に、俺は退いてやるよ。


 気付いてたのに。あの人の視線の先に、誰がいたのか。
 だけど俺は、少しだけ、目を逸らしたくて。まだ、現実に触れたくなくて。
『またやってるんですか、京と天崎先輩』
『ああ!聞いてよ、田中くんっ。京くんまたねー』
 
本当は、ずっと前から。
 その眩しさが、愛おしかった。
 いつだって真っ直ぐな瞳も、心も。俺に向かってくれればいいのに、そう思っていた。
 ……でも、それ以上に。俺は捻くれた幼馴染みが、大切だったらしい。


 俺には、幼馴染みがいる。
 滅茶苦茶むかついて、滅茶苦茶面倒くさくて、滅茶苦茶鈍感な。
「おい、田中」
 
不意に、後ろから声をかけられる。いきなりのことに、思わず足を止めてしまった。多分情けない顔をしているから、振り返りたくなくて。黙ったままの俺に、京は。
「意味分かんねぇけどな。多分、幸せなんじゃねぇの。お節介な先輩やら、――親友がいて」
 
淡々としたその声音が。言った言葉が信じられなくて、振り返る。でも、もう京はとっくに向こうに行ってしまっていた。
 ……照れてるのか。笑ってしまう。
 もう一度、前を向く。一度息を吐いて、足を踏み出した。何故か、妙に身体が軽い気がして。




本当に。
滅茶苦茶むかついて、滅茶苦茶面倒くさくて、滅茶苦茶鈍感な、幼馴染み。
だけど、滅茶苦茶、素直じゃなく、――優しい、親友。


  

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