ねぇ、知らないでしょう?

私がこんなに、君を想ってること。

その微笑み一つで、私の意地も、わがままも、全て放り出していること。


Eye for eye 6


 京くんのサボり現場へ行ってから、もう半年近く。その間、最初こそ屋上でよく会っていたけど。十月くらいから、寒いから、という理由で彼のサボりはなくなった。
 ……でも、私がそれじゃ嫌で。田中くんのことを大義名分にして、帰りに誘ったり、した。付き合ってもないのにいいのかな、って悩んだけど。もう、夏休みの時みたいな思いは、勘弁だ。自分から離れるようなこと、絶対にしたくなくて。それに、京くんは私の誘いに乗ってくれるから。
『今、すごく眠い』
 勉強の合間の、そんなどうでもいいメールにも。
『ガキには遅い時間ですからね』
 
ちゃんと、応えてくれるから。(いや、皮肉ばっかりだけどさ)
 だから私、嬉しくて。嫌じゃないんだ、って思うと、それだけで舞い上がっちゃう。

 
好き。
 今まで出会った誰よりも、
 これから出会う誰よりも、
 ――京くんが、好き。

 
日に日に積もるこの思いに、京くんが応えてくれることはないと、分かっているのに。時折見せる微笑みに、優しさに、温もりに。私は溺れて、自惚れたくなる。
 京くん、少しは私のこと、好き?って。

「はぁ……」
 
勉強机に座って、私はぼんやりため息を吐いた。
 現在時刻、0時3分。
 そして明日――もう今日か――は、私の第一志望の大学の試験日。早く寝なくちゃ、なんてことは分かってる。八時にはお風呂に入ったし、十時には布団に潜り込んだ。でも、全然眠れなくて。仕方ないから、1回起きて勉強でもしよう、と決心したのは十一時のこと。部屋の寒さに、目は冴えるばかりで。電気は切ったけど、カーテンの隙間から覗く街灯の光が、今日に限ってやけに眩しく感じた。指先に息を吹きかけ、外を見やる。
 
緊張、してるんだよね、やっぱり。
 昔から、大事なことがある前日は、眠れなくて。高校受験の日も、大きな大会の日も、センターの日も、そうだった。遡れば、保育園の遠足の日からこんな調子だった気がする。成長のない自分に、思わず苦笑を零してしまう。
「京くんにガキって言われても、仕方ないかなぁ……」
 頭を抱えながら、時間を確認しようと、机の端に置いたケータイに、手を伸ばした時。
 ―
ブブブブブ……
「!!」
 
触れる手前で振動したそれに、思わず指を引っ込める。でも、意外と大きな音に、慌ててケータイを取り上げた。
 危ない、危ない。お父さんとかお母さんに起きてるのがばれたら、絶対怒られてしまう。
 ライトの色は水色。これは、着信表示。こんな時間に誰だろう、と内心首を傾げながら、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『……』
 
小声で、電話の向こうに話しかける。聞こえなかったのか、何の音も返ってこなかった。間違え電話、とかじゃないよねぇ。ていうか待て、私。相手も確認してないじゃんか。とりあえずそれが先決だ、と思って、受話部分から、耳を離した瞬間。
『――やっぱり、まだ起きてたんですね』
 呆れたような、その声に。私は、固まってしまった。
 ……え、嘘。何で。
『天崎先輩?聞こえてますか?』
 
何で、京くんが!??
 焦って、でも、その声が欲しいから。私は、耳にぴたっとケータイを貼り付けた。こくこくと頭を縦に振ってから、電話なのに気付いて、やっと声を絞り出す。
「な、んで、京くん、が?」
『……』
 
だけどその疑問に、彼は答えず。ふぅっと、電話越しのため息が、闇に溶けた。
 うわ。何でだろ、これ、恥ずかしい。電話なんて、初めてじゃないのに。多分、妙に特別に感じるのは。京くんから掛けて来てくれたのが、初めてだからだ。
 私からは、部活時代はもちろん、引退してからも定期的に掛けていた。でも、京くんがこんなふうに何でもないことで掛けてくれたの、初めて。
 
顔見て話したいな、って思うけど。気持ち悪い位、自分の顔が緩んでるから。電話越しで、安心なのも、本当。
『とりあえず』
「うん?」
『先輩、今、布団の中ですか?』
「へ?」
 
何かを吹っ切ったような京くんの声が、耳に届く。返事をすると、予想もつかなかった質問をされた。間抜けな返事をすると、『馬鹿みたいな声、出さないでください』とすぐに叱咤される。
 ……自分で分かってても、人に言われるとむかつくよね。むっとしつつも、とりあえず口を開いた。
「まだ、だよ」
『だったら、布団の中入ってください』
「はいぃ?」
 
何だろう、今日の京くん。風邪でも引いたのかな?三年生が家庭研修に入ってから、全然会えなくなっちゃったんだけど。その間に、おかしな病気にでもかかったのか。頭の中一杯に疑問符を浮かべていると、イライラした声で。
『早くっ』
 
と言われた。
 仕方ないなぁ、と呟いて布団に潜り込む。電気毛布に繋いであるそれは、ぬくぬくしていて。意外と身体が冷えてたんだ、って今更気付いた。
「入ったよ?」
『……』
「京くーん?」
 
呼び掛けるけど、返事はない。
 寝ちゃったのかな?そう思って時計を見ると、時計は0時10分。予想以上に長い間話してたんだ、って驚いた。
 ていうか、布団入りながら話すのって恥ずかしいかも。いや、好きな人と話ながらって、さすがの私も緊張しますよ。なんて、誰が相手か分からない言い訳をしていると。静かな、声がした。
『……寝れますか?』
「え?」
 
その声には、真剣な色が含まれていて。枕から頭を起こして、聞き返した。すると、電話の向こうの彼は、躊躇いがちに、話し始める。
『先輩、明日試験って言ってましたよね』
「っ、お、覚えててくれたんだ」
『……たまたまです』
 
素っ気ない言葉だけど、どうしよう。嬉しすぎる。わざわざ私の試験の前日だから電話くれた、ってこと?何それ。京くん、それ大サービスにも程があるよ!
 うきゃーっと心の中で叫んで、足をじたばたさせる。それでも、足りない位。身体中熱くて、電気毛布の温度を下げた。
 ……あれ?でも、だったら何でこんな時間に電話してきたんだろう。それだったら、もっと前でも良かった気がするんだけどなぁ。何でだ、何でだ、と首を傾げる私の耳に。
 ぽそりと、囁きが落ちた。
『前、大会の時に』
「ん?」
『……先輩に夜中にメールしたら、すぐ返ってきて。朝返信が来ると思ってたから、すげぇびびった』
 その言葉に、私も過去を振り返る。
 ああ、そんなこともあったなぁ。京くんが、一年の時じゃなかったかな。荷物の確認メールが、私のところに来たんだ。その時は、もう少し遅い時間。だけど私は、緊張して眠れなくて。京くんのメールにも、すぐ反応した。懐かしいなぁ、なんて思いながら一人頷く。そうしたら。
『その時、先輩が。緊張すると、夜、眠れなくなるっつってたから、』
 
――ありえない言葉が、私に降る。
 
一瞬、全てが私の中から消えた。英語の構文も、日本史の年号も、古文単語も。
 ただ一つ、残ったのは。……京くんの、言葉だけ。
 それが私の中にじわじわ染み込んでくるのを感じて、私は慌てて布団を被った。どっくん、どっくん言ってる。痛い、心臓が。
 
だってそんなの、一昨年の話よ?京くんが試験前日に電話くれるのだって、奇跡みたいなのに。
 こんなこと、されたら。そんな、照れたように種明かし、されたら。

 
私は布団の中から手を出して、枕の辺りに放り投げたケータイを取った。固い感触のそれは、冷たくて、無機質なのに。
「通話中・西宮京」
 
その表示を見るだけで、……熱く、感じる。恐る恐る耳元に、再びケータイを押し当てて。私は、泣きそうな声を出した。
「どうしよう、京くん」
『何がですか』
「私、落ちちゃうぅ〜」
『はぁ?』
 
何を馬鹿な、と言外に言われてるのは分かる。
 いや、でもさぁ!!今の私には、神様が微笑みすぎちゃってる。これは、試験落ちちゃうよ。だって今、ものすっごく幸せなんだもん。これは、私、一生分の運全部、なくしたんじゃないの?
 やばい。本気で心配になってきた……。
 そんな私の焦りも気付かず、彼は淡々と言う。
『そん位余裕があれば、大丈夫じゃないっすか。そろそろ寝れば、補欠合格くらいは出来そうですよ』
「ね、寝れそうにもないんだけどっ」
 ていうか、寝るのもったいない。京くんの声、もっと聞きたくて、仕方ない。皮肉っぽい言い方や、息継ぎのタイミングすら。必死に聞き取ろうとしてる私って、かなりの変態じゃないだろうか。
 それでも、それ位、必死になるの。京くんのことに関しては。貪欲になって、一杯になって、それでも足りないって思うの。

 一瞬でいいなんて、もう思えない。
 ずっと側で、皮肉を言って、笑顔を見せて欲しい。
 私の中、京くんで埋め尽くして欲しい――。

 しばらく経っても、何の返事もないから。わがまま言い過ぎたかな?って不安になる。
 恋愛って、不便だ。好きになればなるほど、わがままになるのに、臆病になる。近付きたいのに、一歩退いてしまう。

 ねぇ、京くん。
『ケーキ』
 私は、君へ踏み込んでいいのかな?
「え?」
 君の側を、望んでいいのかな?
『受かったら、何個でも、おごってあげますから』
 
時々ね。本当に、勘違いだと思うんだけど。
『……だからせいぜい、頑張ってください』
 ――京くんも、それを望んでる気が、するんだよ。

 本当に、面倒くさい、そんな言葉すら、甘く聞こえる。
 京くんへの恋を自覚した時から、私は色んな意味で駄目人間だ。でも、このままでいい。京くんが、そう言ってくれたから。だから、お願い。ほんの少しだけ、君の側に、何の遠慮もなくいられる、今だけ。
「ちゃんと、お店連れてってね」
 
底なしに、甘えさせて。
 私の気持ちに気付いていないはずの、君の優しさに。
『……分かりました』
 
しばらくして、ため息混じりに彼は言葉を返した。本当に、渋々、といった感じの言葉に、私はくすくす笑ってしまう。それが、私と一緒に出かけるせいなのか、嫌いな甘いものに囲まれるせいなのか、分からないけど。答えは、いらない。今の私に大事なのは、京くんの存在。それだけだ。
 ふと、とろりと瞼が落ちてきたのに気付く。さっきまでの緊張が、どこかに流されたみたいに。我ながら、現金だと思う。京くんが、側にいてくれるような気がするから、安心する、なんて。
 ふふ、と笑いながら京くん、と愛しいその名を呼ぶ。
 何ですか、なんて、素っ気ない返事が返ってきて。
「おやすみなさい」
『……お休みなさい』
 
きっと仏頂面で言ってるんだろう。そう思うと、口から笑いが漏れてしまって、仕方なかった。
 ぴ、と通話終了ボタンを押して、充電器を差し込む。それを枕元に置いて、私はゆっくりと目を閉じた。




きっと、全ては私の妄想。
それでも良い。
今だけは、どうか。
この甘い感情に、浸りたい。
君に、君だけに、真っ直ぐ続く、この気持ちに。

今日の夢見は、きっと良い。


  

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