The Last Bet,For You.(3)


 河村くんとは、その日から仲良くなった。仲良くなったって言うのか分からないけど、とにかくよく話し掛けられる。今まで全然話したことも無い二人が一緒にいるのは違和感を感じるもので。
 あの夏期講習の翌日、教室に入った途端に河村くんは声を掛けて来た。
『おはよー!!櫻井さん、昨日あの後ちゃんと帰れた?』
 ……
その時は、先生の予想は当たったんだな、って、それしか思わなかったけど。それから落ち着いて周りを見渡すと、彼の仲の良い女の子から感じる強い視線。でも河村くん本人は気付かずに話し掛けて来て、正直困った。今は流石に三か月も経つから、そんな視線は感じないけど。
 その河村くんと、話すようになった後。私の二度目の告白は、十一月の少し前だった。

* * *

「櫻井さんっ今帰り?」
「河村くん」
 
十一時過ぎ、会員カードを切って退出を示す。そんな時、声を掛けられた。河村くんに。そのまま、ニコニコ顔で私の横に並ぶ河村くんを強く否定する理由も無くて。立ちすくむ私を振り返る、彼を追い掛けた。
「寒いね。もう冬だなぁ。櫻井さんは、冬、好き?」
「嫌いじゃ、ないけど」
「そっか。櫻井さん、冬似合いそうだもんね」
 
塾を出ると、すでに外は真っ暗で、冷たい手を擦り合わせながら、河村くんの言葉に返事を返す。
 ……だけど何なんだろう、その微妙な返事は。
 冷たい女ってこと?いや、確かにリアクションは薄いけどね。でも言った本人は悪びれもせず笑ってるから、深く考える方が変なんだろう。とりあえず、一息吐くことにした。良くも悪くも河村くんは正直で、そして、どこか憎めない人なのだ、彼は。その毒気の無い明るい笑顔や、真直ぐな発言はどうにも調子が崩され、ペースが持っていかれる。
 ――でも、ね。
「あー。こう寒いと、受験近いなぁって感じでやだなぁ」
「そっか、あと三ヶ月くらい、だよね。一般」
「そっ!!最近塾も結構ピリピリしてるし、……早く遊びたいな」
 
この時期になると、塾全体が何となく慌ただしい空気を保って。
 私自身、第一志望校はC判定。この後どうなるか分からない状態だったから、決して気は抜けなかった。
 最後のしみじみ吐き出された言葉は、とても河村くんらしくて。思わず声を立てて笑うと、河村くんは一瞬驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに笑った。
「ね、櫻井さん」
「何?」
「賭け、しない?」
 
唐突に言われた言葉に、首を傾げる。「賭け?」確認するように尋ねると、彼は大きく頷いた。それは普段の無邪気な表情と違う、どこか大人びた、真剣な表情で。無意識に動く足を止めると、街灯に揺れた影が、視界に映った。
 ぼんやりと息を吐き出すと同時に、河村くんのサラサラの髪が揺れる。夏は明るいアッシュブラウンだったそれは、今は落ち着いた色になり、何でもライトブラウンと言うらしい。私は、明るい色の方が好きだった。だってその色は、あの人によく似ているから。
 不意に、河村くんが腰を屈め、私の瞳を覗き込む。思わず身体を揺らして避けようとすると、静かに私の手首を繋いだ。別にイヤな訳じゃないけど、今までされたことの無い経験に、対応に困る。
「明後日模試があるでしょ?」
「え、あ、うん」
「その模試で、賭けしない?」
「どんな……?」
 
静かに吐き出される言葉に、心臓がドクドクと自己主張をして。ときめきじゃない、ひどい、恐怖を感じるんだ。これから言われる台詞が、想像がつくから。
「そ、賭け。俺が勝ったら、デートしてほしいんだけど」
「っ、」
「櫻井さん、もうとっくに気付いてるでしょ?俺の気持ち」
「そ、れは……」
 
スラスラと言われる言葉に、むしろ私の方が焦ってしまう。
 どうしよう。気付かないふりをして、傷付けたくないって思っていたのに。
 なのに、彼は平気な顔で踏み込んでくる。まるで恐れることが何もない、と言うように。
 震える唇で、返事を必死に探していると、不意に彼は微笑した。
「大丈夫、ちゃんと知ってる。……櫻井さんがきたみんのこと好きなのも」
「え……」
「だからって、何もしないで諦めたくないんだ。櫻井さんが勝ったら櫻井さんのお願い聞くよ。きたみんとの仲を協力したっていい。だから、お願い」
 
けど、笑っていたって河村くんの瞳は真剣な色を帯びたままだった。その言葉は優しいもので、私はといえば、予想外の言葉に頭が混乱している。
 ……まさか、気付かれていたなんて。
 だって私、私は。
 あの日、相手になんかされてないって、身に染みて感じられたはずだった。
 ――なのに、側にいたいと言う気持ちは、欠片も損なわれなくって。むしろ、そうやって妙に成長していた気持ちに戸惑うばかり。
 最初は諦めようって、何度も思って、先生への態度も素っ気なくなっていった。このまま好きでいたって欲しいものは決して得られないし、そして私も彼が望むものを与えられないって分かったから。
 だけどその意地悪な笑いも、
 気紛れに叩かれる頭も、
 終わった後挨拶した時に言われる『お疲れ様』も。
 変わらないその全てで、私を惹きつける。
 他の女の子が先生と一緒に笑ってるのを見掛けるだけで、すごい不快感に襲われる。その瞳が私を写さなければ、涙が出る程切なくなった。
 ――好き。好き。好き――
 
何度も心で叫ばれた感情は、だけど、もう一度拒否されたら?そう思うとどうにも動けなくて。
 更に廊下で河村くんと話してると北見先生に言われる、さり気ない、『お前ら仲良いな』って言葉。河村くんは素直に笑ってるけど、私は心臓が千切れそうなくらい痛くて、悲しくて。だから、見当違いな怒りを彼にぶつけたくなったりする日もあったりした。そんな私は、彼に想ってもらう資格は無い。それ故に、その気持ちを決して受け取りたくなかったのに。
 彼は、全部分かってる上で、私に想いを寄せてくれたの――?
「きたみんはさ、いい男だし、俺だって女子なら絶対惚れてる。俺、きたみんには勝てないと思うよ。でも、櫻井さんを一番好きなの、俺だから。だから、駄目?」
 
もう一度、しっかり私の目を見つめて言う河村くんに、大きく息を飲み込んで、……頷いた。嬉しそうに笑う河村くんに、頭の中で謝罪と、小さな決意をしながら。

「北見先生、今ちょっといいですか?質問あるんですけど」
「あ?櫻井か。いいぞ、ここ座れ」
 
次の日、十一時過ぎ。
 自習室を出て、私は六番教室に入った。今日の先生の最終授業は、ここのはずだから。そして、もしそこに先生がいれば。私も、最後の賭けをしようと思っていたから。
 そっと扉を開けると、先生は煙草を銜えながら授業のプリントだろうか、何かを書き込んでいた。声をかけるとすぐに反応して、柔らかく笑ってくれる。それに、必死に押さえ込んできた気持ちが騒いでいた。河村くんと違う、確かな胸の高鳴り。素直に前の席に行って、参考書片手に苦笑する。
 ……私の気持ちに気付いているはずの先生が私への態度を変えないのは、あの日の出来事を完全に無かったものにするため。
 だけど、そんなの認めない。河村くんを見習って、私も一つ、踏みだそう。先生を一番好きなのは私だ、って胸張りたいから。
 小さく首を傾げて参考書を見る先生の、後頭部を見つめる。明るい髪色の、ふわふわしたそれが、ずっと好きで。これからも、ずっと。
「で、どこ……」
「賭け、してくれませんか。私と」
「……あ?」
 
唐突の私の台詞に、眉を顰めてジロリと私を見る先生。
 拒否される可能性は、重々考えてある。でも、最後の賭けだ、逃がすつもりはない。
「明日の模試、私、自己最高点出して、志望校判定B以上出して見せます」
「……で、俺には何して欲しい訳?」
 
飲み込みの早い先生は、さっと私から離れて、疑問を口にした。その瞳はあの日と同じ冷たい色。身震いをしていると、どこかで暖房が切れる音がした。冬はみんな帰るのが早いからか、切れる時間も早いらしい。そんなことをどこか冷静な部分で考えながら、先生に笑いかけた。
「クリスマスイブ」
「は?」
「イブでいいんです。私と、会ってください」
 
予想外の台詞だったんだろうか、珍しい間抜け顔に思わず吹き出すと、先生はムッとして私の額を弾いた。「った、」額を押さえて言うと、先生は不機嫌そうに私の顔を睨んだ。
「何なんだよ、その意味分かんねぇ条件。俺に利点がねぇだろうが」
「私が負けたら、先生のお願い何でも聞きます。もちろん、俺を諦めろって言うなら諦めます」
「……やっぱり不公平じゃねぇ?」
「だから条件厳しくしたんです。それに、イブに会うって言ったってほんの数分、この塾でいいんです」
 
今の自己最高点は英語の二百点満点、数学・物理の百点満点の三教科で、三百十五点。B判定をもらうなら、あと三十点上げなくちゃきつい。
 それでも、私は先生がこの賭けに乗るなら何が何でも勝とうって思った。最後の、賭けだから。私の気持ちにケリをつける、最後のチャンスにしたいから。
「私、まだ北見先生が好きです」
「……」
「あの夏期講習の時に告白した気持ちと、何も変わってません。好きです」
 
先生は、何の反応もしない。静かに煙草の煙を吐き出すだけだ。だけど、別にかまわない。これは自己満足の塊、そして、それも分かってるから。だから、どうか。
「……だから、私に先生を諦めるチャンスをください。最後に、告白させて、先生の気持ちを聞かせてください」
 
――それを言い切って、大きく息を飲み込むのと、先生が苦笑したのは同時だった。
 少しだけ、悲しそうに笑って。
「お前もつくづく、……馬鹿だな」
 
静かに頷いて揺れる先生の頭を見た瞬間、私は泣きたい気持ちで一杯だった。
 これはきっと、私の最初で最後の恋になるかもしれない、ってぼんやり思えたから。

 そして、十二月十日。
 模試が、返却された。正直、自己最高点に関しては自信があった。問題は、志望校判定で。恐る恐る、震える指で結果を見た時。
 ――覗くBの文字に、大きく安堵した。
 合計点は、三百四十八点。
 
その結果を、帰り道で河村くんに伝えた。
 負けるとは、思ってなかった。そして彼も、勝つとは思っていなかったんだろう。そういう機会を使って、私に自分の思いを伝えたかっただけなんだと思う。そこまでしてもらえる人間じゃない、って何度も思ったけど。でも、今は彼の気持ちを嬉しく思う。先生を想っていく自信に、なった。
 彼は結果を言うと、少し悲しそうな顔をした後に、笑ってくれた。『頑張れ』って。
 私の“お願い”を聞くと意外そうな顔を、していたけれど。でも、いつもの人懐っこい笑みで、承諾してくれた。

 ……
残る問題は、先生だけ。
 本当に、来てくれるかは分からない。今回の一番の賭けは、むしろそこだから。先生は、来なくてもいいんだ。実際、先生に利点は無い。
 私はただ、先生が来ることを祈って、模試の後もテストが帰ってきた後も、何も言わなかった。あくまで、信じていたかったから。
 だからこそ、受付のお姉さんに話を聞いて落ちこんだのだけれど。
 先生は、ずるい人だ。最後にスッパリあきらめるチャンスも、くれないの?


  

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