The Last Bet,For You.(4)


「ったく、……い、櫻井?」
「……」
「……きろ、……ぞ、」
「……ん、」
 
――夢、だろうか。私、いつの間に寝てたのかな……?
 覚えがないけど、先生の声が聞こえるんだから、夢だろう。先生は私みたいな子供との約束忘れて、きっと綺麗なお姉さんとデートだろうから。
 だけど無意識にぴくりと瞼を揺らすと、妙にスースーした、寒気に気付く。今日は早く閉めるって言ってたからな、もしかしたら暖房が切れたんだろうか。思わずぶるりと身震いすると、少ししてため息が聞こえて、肩があったかくなった。
 何だろう、これ。誰かがかけてくれたみたいだけど。すごく、安心する。
 それを無意識に、ぎゅっと握りしめる。何かの上着みたい。でも、うつらうつらする頭では、確認するのも面倒くさくて。それを抱きしめたまま、また、眠ろうとする……。
「おい馬鹿、起きろ!!人呼び出して何寝てやがるっ」
「っへ、ぇ、ふぇえ!?」
 
が、耳元でいきなり叫ばれて。
 慌てて顔を上げると、そこは塾の自習室で。すぐ側にある窓ガラスの外側は、真っ暗闇だった。え、今何時?
 辺りに人がいる気配は、無い。どうやら勉強しながら寝ちゃったみたいだけど、来たときは二時前だった。
 え、ちょっと待って、そう思いながら鞄から携帯をあさろうとした、時。
「おい櫻井。あんまり無視してっと帰るぞ?俺は暇じゃないんだ」
「…………どぇぇ!?」
「……お前、頭大丈夫かよ」
 
耳元で囁かれた低いその声の持ち主を見て、一瞬呆然とする。そして数秒後、驚きのあまり叫んでしまったのだ。
 ふわふわの茶髪、切れ長の瞳、綺麗な肌、薄い唇、銜えられた煙草。その人――北見先生は、間抜けな叫びをあげた私を呆れたように見てから大きくため息を吐いて、私の額を弾いた。「っぃた、」予想外の痛みに額を押さえると、もう一度ため息を吐いて、親指で自習室の出口を指さす。
「おら、とりあえずここじゃ誰入ってくるか分かんねぇから。六番教室、行くぞ」
「え、え、?」
「さっさとしろよ。俺は暇じゃねぇし、イブに一人で勉強してる寂しい奴はお前だけじゃねぇんだよ、」
 
……これは本当に、夢じゃないんだろうか。
 未だ展開について行けない私を置いて、先生は足下にあった私の鞄を持って自習室を出て行く。慌てて机の上に散乱したシャーペンや筆箱、ノートやその他諸々をまとめて席を立った、時。
 パサリ、と、肩から何かが落ちた。
「へ?」
 
床を見ると、男物の、トレンチコート。深い黒色のそれは大きくて、私なんかすっぽり入っちゃいそう。同時に、さっきのあったかさの原因と、これをかけてくれた人物に思い当たり。思わず、赤くなっていく頬を止められなかった。
 つまり、これは、先生ので。生徒としてでも何でも、寒がってる私を心配して、先生はこれをかけてくれたんだと。思い当たると、どうしようもなく、嬉しく、そして恥ずかしくて。
 ――どうしよう。
 これから振られるために、今日先生を呼び出したのに。嬉しくなってる自分が、馬鹿みたいだった。

「櫻井、おせぇんだけど」
「す、すみませんっ」
 
コートを見つめて、嬉しくなって。現実の先生のことを思い出すのが、すっかり遅くなってしまった。コートと荷物を抱えて一番奥の六番教室を見ると、一つだけ、ぽつんと電気が点いている。どうやら今日入っているとお姉さんが言ってた他の授業は、とっくに終わったらしい。ドアを開けると既に煙草に火を点けていたらしい先生は、ふっと息を吐き出し、いつもの教卓の席で、長い足を組んでいる。息を切らした私を見ると、冷静に一言漏らした。
 この寒いのに先生は白いVネック一枚で、って、あれ?
「あれ?先生、私服、ですか?」
「あ?午前中出かけてて、そのままこっち来たからな。悪ぃかよ?」
「い、いや、そんな訳じゃっ!!」
 
初めて見る、先生の私服。思わず口にすると、私の言い方が気に入らなかったみたいで、片眉を跳ね上げた、先生。否定するけど、その表情は依然、憮然としたまま、腕を組んでいる。その右手の人差し指と中指にはゴツゴツしたシルバーデザインの指輪もはまっていて。下は細身のジーンズをすらりと履いていて、長い足にはよく似合っている。そう、何て言うか、特別着飾るわけでもなく、サラリとオシャレなのだ。だから悪いとかじゃなくて、むしろ。
「あ、あの、格好良くて、」
「……」
 
――見惚れたまま、そんな台詞を口走ってしまった。
 そのまま、反応が無い先生に、ハッとする。
 て、て、私、何言ってんのっ!!馬鹿でしょ!!こんなの言ったらまたからかわれるだけで―!!
「……つーか、とりあえず中入れよ。寒ぃ」
「え、あ、あ、はい」
 
だけど予想に反して先生は、目を背けてそう言っただけで。その反応に目を瞬きながら、素直に中に入った。後ろ手にドアを閉めながら、先生の側による。お礼を言ってコートを手渡すと、「別に」なんて素っ気ない返事。そうすれば、さっきの嬉しい気持ちなんて一気に萎んでしまった。
 やっぱり今日、呼ばない方が良かったのかな?もしかしたら午前の約束って、彼女さんとかだったのかもしれない。時間指定してなかったのが、裏目に出ちゃったかな……。
 しょんぼりする私に先生はちらりと視線を送って、「座れば?」なんて冷たく言った。思わずびくりとしてしまう、その瞳、言い方。
 ――だけど、河村くんが、応援してくれたから。
 これを最後にするって決めたんだ、しつこい子供って思われたって、引くもんか。そう思って、息を吸い込み。
「あの、先せ」
「つか、なんでいきなり賭けなんて言い出した訳?」
 ……
話し出したのに、口を開いた先生に、勢いが削がれてしまった。一瞬反応しそこねて、慌てて今の言葉を反芻する。
 えと、何で賭けを持ち出したか、だよね?それは……。
「機会が、欲しかったからです」
「機会?」
「先生を、諦める機会」
 
あのまま生殺しみたいな状況だったら、ずっと先生しか想えなくなっちゃうから。だから最後にちゃんと振られたかった。そう言った。
 目を細めたままの先生に、苦笑する。
 何か、この時点でかなり未練がましいって思われそうだな。でも、どうしたって私は、「俺はお前に何も出来ない」なんて理由じゃ、納得できない。

 
優しくなんて、振らなくていいから。
 生徒にしか思えないから、とか。
 子供を相手にする趣味は無い、とか。
 彼女や好きな人がいる、でもいい。
 私を確実に諦めさせて欲しい。だから、お願いした。

 先生はしばらく黙り込んだ後、短くなった煙草を、ポケットの中の携帯灰皿に入れて。
「っち」
 小さく、舌打ちをした。
「それで?」
「え」
「お前は俺を諦めて、どうしたい訳?」
「どうしたい、って……」
 
驚いていると、ぎゅっと手首を強く捕まれる。ぎり、と握られて思わず顔を歪めるけど。先生は「答えろよ」と険しい顔をしたままで、離してはくれなかった。ぎらぎらと光る瞳に、背筋が凍る。
 どうして?私、先生に何か、した?
 告白しようとしたことが気に入らなかったのか、それとも、別の何かが。どちらにせよ、嫌われたのかもしれない。そう思うと、視界がぼやけた。
「何、泣いて誤魔化す訳、お前は」
「っ、違、わ、私。……別にどうこうしようとか、思ってないです」
「嘘吐けよ。だったら何で、今になってそんなこと言い出すんだ?」
「そ、それは……」
「それは?」
「河村くんが、……」
「……やっぱり、河村かよ」
 
冷たい瞳に零れる涙を抑えきれず泣き出す私に、先生は冷たく言い募った。
 ――これ以上、幻滅されたくない。
 だから必死に首を振って、先生に答えた。だけどその答えは気に入らないものだったらしく、ますますきつくなる言葉。
 確かに、尤もな疑問かもしれない。納得できないならもっと早く言えばいいはずだし、気にならないならもうこんな機会は作らないはず。確かに、遅すぎる。私だって多分、河村くんが賭けを持ち出さなかったらもう言うことはなかった。
 だけど、彼の賭けを聞いた瞬間。私も、勇気を出さなくちゃいけないって、そう思ったんだ。いつまでもこのまま、先生に縛られたまま、って言うのは先生にも私にもいい状況とは思えなかったから。だからそれを言おうと思ったんだけど、どう言葉にしていいか分からなくて、躊躇う。
 でも先生は、河村くんの名前を聞いた途端、眉に寄った皺を深くして。
「っひゃ、!!」
 ――私の身体を引き寄せて、自分の膝の上に乗せた。
 急激に近くなる体温、掌に伝わる鼓動の音、至近距離で見上げる、先生の顔。黙ったまま腰に回された両腕はまるで、鳥籠のようだと思った。
「え、え、っちょ、先生、」
「……」
「あ、の、離して、くださっ!!」
 
急激に近くなる距離に、上手く走ってくれない、脳味噌。
 変だ、こんなの。数学の問題を解く時は、もうちょっとマシに動いてくれるのに。先生がこんな近くにいるからって、先生が好きだからって、先生だからって。
 恥ずかしすぎて、真っ赤になった情けない顔を見られたくなくて、暴れる。けれどそのガッシリした腕は、私を離してくれる気配を見せない。あんまり恥ずかしくて、涙まで出てきた。ひんやりした教室なのに、暑い、って思う。
 どうしよう。このままじゃ、頭沸騰しちゃうよ。先生、助けて、先生―!!
 そんな私に気付いているのか、いないのか。
「――言えよ」
「!!」
 
耳元にひっそりと落とされる、囁き。いつもの声と違う、低く落とした艶めかしい響きに体温は更に上がった。
 思わず先生のVネックの胸元を握りしめて、俯く。すると先生は大きな手で私の後頭部を押さえて、しっかり自分の身体に押さえつけた。頬に、先生の堅い筋肉を感じる。カッ、と体温が上がった。
 いつもと同じ教室が視界にあるのに、なのに、そこで私は先生に抱き締められてる。あり得ない現実にクラクラしながら、口を開いた。
「せ、先生、待、……っ、誰か来たら、」
「誰も来ねぇよ。今は七時だし、入り口の鍵も閉めてある」
「っな―!!」
 
苦し紛れの反論はサラリと交わされ、思わず絶句してしまう。
 何で、先生はそんなことをしたの?これは、本当?だって、あり得ない。私、私は、どうしたら……。
「いいから、言えよいい加減。何のために、俺を呼んだんだ?」
「あ……」
 
だけどパニックになる脳味噌を一気に冷やす、冷静な台詞。
 そっか。先生は、最後の優しさを、くれたんだね。最後だからって邪魔が入らないように、お子様に、一時の夢を、くれるために。それは残酷で、だけど、先生らしい手口。ひどく、狡い。これじゃ、諦められないよ。その優しさが、痛くて仕様がない。
 自然潤む目元を小さく拭って、先生の背中に手を回した。微かに、息を呑む音。
 最後だから。どうかこの温もりを、今だけ、私に、下さい。
「先生、好き、です」
「……」
「本当はね、ここに入った時から、好きだったの」
「……」
「最初は綺麗な顔に惹かれたんだけど。実際は意地悪だしニコチン中毒だし、無精だし、親父、臭いし……」
 
間抜けな言葉を皮切りに、口から零れる、告白。
 そう。本当に、外見と中身のギャップには驚かされた。だけど、その反面で見えた、たくさんのもの。
 言いながら思わず涙が零れて、それを擦り付けるように、先生の肩に顔を押しつけた。
「っ……でも、先生、入りたての私、どうでもよさそうにしながら気遣ってくれたり、して。いっつも、分かりにくいけど、優しくしてくれたから、ね……っ」
 
意地悪な軽口は、嫌い。
 『俺の顔、格好良くって見惚れちゃうんだもんなぁ?』なんて言っちゃう自意識過剰な態度も、好きじゃない。
 だけど先生がそんな風に言うのは、決まって私が疲れてる時や、勉強に行き詰まってる時で。同時にくれる飴やミルクティーに、ひどく救われた。先生にそうされると、また頑張ろうって、そう思えるんだ。
 多分先生は、知らないだろうけど。

「だから、私、好きで、仕様がないんだよ……っ、」

 ――震える喉でそう言うと、耳元で、大きなため息が聞こえた。
 思いがけず、ビクリと肩を揺らす。
 分かってるって。ちゃんと、今回は受け止めるから。逃げたり、しないから。大人はずるいとか、そんなこと、言わない。もう先生の優しさにいちいち期待して、甘えないから――。

「……俺、お前に何も出来ねぇよ?」
「っ、」
「なぁ」

 だけど、耳元で言われた言葉に驚く。
 何で?それは納得できないって、あんなに言ったのに。またそれで、通すつもり?それは、駄目だよ。それは、許さない。
 慌てて身体を起こすと、後頭部を押さえていた手はあっさり離れて、腰に回る。先生の方を見ると、……笑ってた。まるで悪戯が成功した子供みたいな、無邪気な表情で。怒ってやろうと思ったのに、呆気にとられてしまう。
「……って言い続けてやろうと、思ったんだけどな」
「へ?」
「正直、お前が塾辞めるまでは、告白したら、そうやって振ってやろうと思ってた」
 
その物言いに、驚く。
 先生は、私に告白されるのを、分かっていた?その上で、わざとそう言い続けたの?
 涙も止まり、呆然と先生を見つめる私に苦笑して、額をコツン、と合わせた。側にある柔らかい瞳は、初めて見る、もの。
「今日な、本当は、来るか迷ったんだ」
「なん、で」
「……お前が、最後にしたい、なんて言うから。例えばもし俺が行かなかったとしたら、お前はずっと俺のこと諦めねぇのかな、って思ったから」
「……」
 
――先生、駄目。その言い方じゃ、まるで……。
「言っとくけど、意味分かんねぇとか言うなよ?」
「え、あ、」
 
まるで考えを先回りしたような、意地悪な口調。だけど私はそんなことより、その言った台詞に、固まってしまって。だって、それは、先生。だって……。
「……言わなくちゃ、」
「あ?」
「っ、言わなくちゃ、分かりませんっ!!」
 
だけど私は、分からない振りをした。
 先生は訝しげに眉を顰めているけど、知らない。ぶんぶん首を振って、涙がたまったままの瞳で、先生を見つめた。

 ねぇ、先生?
 私ね、欲しいものが、あるんだ。
 どうしようもなく、途方もなく、欲しいもの。
「お前……」
「先生、駄目だよ?私、馬鹿だもん」
「ったく、」
 
少しだけ笑って、意地悪く先生の顔を覗き込む。先生は大きくため息を吐いた後、私の目尻の涙を拭って、困ったように、笑った。

 ――雪なんて、いらない。
 ツリーも、飾りも、プレゼントもいらないから。だから。
 私の欲しいものをどうか、ください。
 貴方だけが、私に与えられるもの。
 たった一つ、……貴方を、ください。

「好きだよ、律」

 言葉と同時に、頬を掠めるように落とされる、口付け。またぽろぽろ泣く私に、先生は甘く笑った。「泣き虫だな、お前、」なんて。仕様がないじゃ、ないですか。そう口にしたいのに、嗚咽ばかりが漏れて。何一つ、口に出来ない。先生の肩に顔を埋めたかったのに、先生の大きな掌に、邪魔された。頬を包み込むそれに文句を言おうと顔を上げると、真剣な、瞳。全身が射抜かれたように動けない私を、先生はクスリと笑った。
 「避けるなよ、」そう言って、目尻に口付けて。
「律……」
「ん、」
 ――その柔らかい熱は、唇に滑り落ちた。思わぬ事実に、ビクリとして、身体を引く。だけど気付けばしっかりと後頭部を支えていた掌に、逃げることは敵わず。そのまま、角度を変え、深さを変えるキスに、私は翻弄され続けてしまった。

「っはぁ、」
「……だらしねぇなぁ、お前」
 
やっと唇を解放されて、肩で大きく息する、私。
「こんなもんでギブアップ?」
 ニヤニヤ意地悪く笑う、その顔が憎たらしい。乱れた呼吸のまま、先生を睨み付けた。
「っは、初めてなんです、よ、私っ。て、手加減してくれたっていいじゃないですかっ……」
「……初めて?」
「わ、悪いですかっ?」
 
先生と会うまで、まともに好きな人もいませんでしたもん。悪かったですねっ。
 余裕な先生が悔しいし、先生と今まで付き合ってた女の人に、どうしようもなく嫉妬する。だけどそんな私の気持ちに反して、先生は、ひどくとろけそうに、甘い笑いを浮かべていた。

「……どうしよ、律」
「な、なにがですか?」
「俺、嬉しくてたまんねぇんだけど」
「!!」
 〜〜〜っ性格、変わってませんか!?先生はおかしいじゃないですか、私の言うこと受け流して余裕そうに笑ってるのがいつも通りで、普通でっ!!
 ……だけど、そんなこと、言えなくて。真っ赤になった私は一言、「先生の馬鹿、」としか言えなかった。
 が。
「ああ?」
 
それが先生のお気に召さなかったらしい。
 私の顎をしっかりと掴むと、笑ってるけど目は笑ってないというとても怖い顔を見せ付けた。そのまま、またキスできそうに近付く距離に驚く。
「なっ、近いですよ?」
「何だじゃねぇだろ、先生だぁ?」
「、先生は先生じゃないですか」
「二人っきりの時は名前に決まってるだろうが。俺も律って呼んでるだろ?」
「決まってるって、言われてませんし……!!」
「じゃあ今決めた。ほら、呼べ。それともお仕置きされてぇのか?」
「お、お仕置き?」
「言葉の通り。してやるよ、たっぷりと」
 
ニヤリ、と色気のある顔で微笑まれ、妙に怖くなる。
 お仕置きって、何されるの!?……無理。今日はこれ以上は、絶対無理!!
 ……けど、名前で呼ぶのも結構抵抗があって。ずっと先生って呼んでたんだし、恥ずかしい。の割には、先生に律って言われるのは、そんなに違和感ないんだけど。恥ずかしい、のに、嬉しい。躊躇う私に、先生は首を傾げる。
「まさか、名前分かんねぇとか?」
「そ、そんな訳ありませんっ。だから河村くんにヤキモチ妬いて―っ!!」
「……へぇ」
 ……
失敗した。「いいこと聞いた」って先生は笑うけど、私には情けなくて仕様がないんですから!!
 あうあう、と更に真っ赤になる私に顔を近づけ、唇が触れそうな距離で、先生は意地悪に、笑う。

「言って、律?――聞きたい」
 
ああ、本当に。狡い大人です、やっぱり、貴方は。そんな熱っぽい瞳で、甘く、焦れたように言うなんて。貴方に焦がれる私を、これ以上、焼き尽くすつもりですか。
 一瞬、躊躇う私の唇は、キュッと引き結ばれ。

「ぅ、っ冬斗……!!」
 直後、誰よりも愛しい人の名を、吐き出した。
「上出来、」
 
そう言って先生は笑い、また、私の熱を、貪る。




欲しいものなんて、一つだけ。
貴方が側で微笑んでくれる未来だけ、私は思い描いた。
これが聖夜の幻だとしても、今だけの、夢だとしても。
私はその奇跡に、感謝します――。


  

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