MAGIC EYES(2)


「んぅ……、コ、ウっ」
「ミズキ……」
 
ぎしり、軋むベッド。自分の首に執拗に吸いつく熱い唇から逃れようと、ミズキは身を捩らせる。しかしそのほっそりした両手首はヘッドボードから伸びるリボンに括られ、拘束されている。逃げようにも、大した移動は出来ない。それは嫌なのに、どこかで喜んでいる自分もいて。もうすっかり彼に身も心も捕えられた自分が、情けなくもあった。
「ダメ、やぁ、っ」
「イイって言えよ。――もっと、よくしてやる」
 
綺麗な彼の、綺麗な瞳。それは今、確かに淀んでいて。させたのが自分だと思えば、身体中に喜びが駆け巡る。たまらずに身体をくねらせれば、恍は意地悪く笑った。
「我慢できねぇだろ?お前、ここ弄ると、いつもすぐに」
「言わないで……ぇっ」
 
涙目で自分を見上げる少女に、完全に捕われたのはいつだったのか。もしかしたら、出会った瞬間からだったのかもしれない。だからこそ、自分ばかり捕われるのは嫌で。この一年近く、ほとんど血を与えなかった。吸血鬼の彼女に、それは酷だと理解はしていた。自分が悪いのだとは、頭では分かっていても。
「駄目、だ。言いつけ破ったお前が悪ぃ」
「ひゃふ……っ、だ、って、お腹空いたんだも、」
「他の男の血なんか、吸うんじゃねぇ」
 
仰け反った彼女の首に衝動のまま噛みつけば、泣きそうな悲鳴。気にせずその背に手を回してボタンを外せば、すぐに上半身が露わになる。柔らかなその白い肌に自分以外の痕が付いていないことを確かめ、満足げに恍は頷いた。そのまま、彼女の肌に手を滑らせる。
「や、コ、触っちゃ、……っめ、」
「何で?他の男に触らせてるから?」
「ち、がっ」
 
潤んだ瞳に、戸惑いが浮かぶ。宥めるようにそれを吸い取ってやれば、柔らかい光が過ぎった。
 ――安心するのは、まだ早いのに。
 ほくそ笑んで、無骨な手をフレアスカートの中に滑り込ませる。普段冷たい彼女の肌は、今彼よりずっと熱い。
「熱いな」
「あぁ……っ、コ、ウ、っ」
「ミズキが悪いんだからな。早く、素直になればいいのに」
 
素直な彼女の身体に、笑いが止まらない。快感に不慣れだったこの身体をこうしたのは、他ならぬ自分なのに。どうして未だに素直にならないのか。他の男の気配をさせたまま、この部屋を訪れればどうなるか、分からないはずないのに。
 別の男の首筋にその牙を埋め、その唇で触れ、その指で撫でたのか。考えただけで恍の血が燃えたように熱くなるのを、何度も実感したはずなのに。
 縛られたままの彼女の指を口に含み、根元から先まで舐め上げる。爪をゆるりと噛めば、高い悲鳴が零れた。それだけで蕩けてしまいそうな、甘い甘い媚薬。
 髪の一筋、零れる吐息、靡くドレスリボンを見せることすら許し難い。この身体に他の男の体液が流れていると考えれば、爪を立てて全て消し去りたくなった。
「なぁ、早く言えよ。俺が欲しいって、俺だけが欲しいって……っ」
「んん、んぅ、ふ、」
 
泣きながら首を振る彼女に、強引に口付ける。舌を絡め、牙を舐め上げれば、その身体はすぐに力を抜いた。出会った頃から繰り返されるやり取りは、もうそろそろ限界だ。いい加減にしないと彼女を殺しかねない程、独占欲は募っている。
 ただ、見たいのだ。自分だけを乞う、彼女が。
 わざとらしく他の男の気配を匂わせる、ミズキ。それは必ず、恍が他の女に会った翌日だと気が付かないと思っているのか。
 嫉妬させたいのなら、思惑は当たっている。焦らしたいのなら、それも正しい。けれどそれだけでは、恍は彼女のものになる気はなかった。
「なぁ、ミズキ?」
「ん、ふ……っ?」
 
決して彼女の肌を滑る指は止めず、恍は優しく声を掛ける。ぼんやりと自分を見る黒緑には、魔力はあるが恍と一緒の時は使っていないとミズキは言う。けれどそれは、嘘に違いない。だっていつも、どうしようもなく捕われるのだから。
「俺が、欲しいだろ?」
「っ、」
「なぁ」
 
その赤い唇をなぞり、そのまま親指を割り入れる。驚きに目を見開く彼女を月の光の中見つめながら、恍はその咥内を掻き回した。ミズキのナカみたいに、熱く火照り、濡れている。喉まで指を突っ込まれ、苦しげに歪められる顔、唾液で濡れる唇。その全てが、こんなにも自分を、魅了する。
「やるよ」
「ふっ?」
 
鋭い牙に、指を強く押し当てる。ぷつり、と皮膚が裂ける感触。痛みを堪えて漏れ出た血を彼女の舌に擦りつければ、うっとりと目を閉じる。
 ――ほら、その表情。恍惚に蕩けるミズキを他の人間に見られるなんて、とてもじゃないが耐えられない。
「もっと、欲しい?」
「ん、」
 
口の中で血を味わう彼女は、すっかり吸血鬼としての快感に染まっている。ほくそ笑みながらそれを見て、彼女の口から指を引き抜く。唾液と血に濡れた恍の指を、彼女はひどく名残惜しげに見つめる。わざとらしく目の前でそれを舐めながら、彼は彼女の耳元で、囁いた。
「『俺が欲しい』って言えたら、やるよ」
「、」
 
いつもと同じ言葉。それに、ミズキは身を竦める。言ったら恍はきっと、嘘ではなく血をくれること、知っている。わざわざ他のまずい血を吸いに行くこともない。
 けれど、悔しい。恍の血を思うがまま啜ったら、絶対に他の血では満足できなくなってしまう。ミズキは恍に、溺れ、縋る。けれど恍は、他の女の人がいる。ミズキだけではない。自分ばかり溺れてしまうのが、ミズキは嫌で仕方ない。それが恍の作戦だと気付かないまま、彼女は俯く。
 耳に、小さくキスが落とされた。

「――俺の、全部」

 けれど、その日。いつもと言葉が、違った。

「……ぇ?」
「俺の血も、身体も、心臓も。ミズキに全部やる」
 額をこつりと合わせながら囁かれる、甘い甘い言葉。蜜のようなそれは、恍の血よりもずっと濃厚に、彼女を誘う。
「ミズキが一言俺を欲しいって言えば、他の女にも触れない。裏切ったら俺の血を飲み干せばいい」
「う、そ、」
「嘘じゃない。俺の全部を、独占していい。替わりに、ミズキにも全部俺に寄越してもらうけど」
 
そんなの今更だ、とミズキは呆然としながら思った。自分の身も心も、恍に捕われて、もう逃げられない。
 人間に捕まるなんて、自分でも馬鹿だと思う。ただの食料に深く関わり、身体も奪われ、恋してしまうなんて。寿命も違うのに、いつか絶対別れが来るのに。そんなの自分に言い聞かせても、まるで無駄だった。
 好きで堪らない。意地悪で、ひどく魅力的で、嫉妬深い、この男が。
「本当、に……?」
「ああ、いいぜ。……どうする?」
 
繋がれる、指と指。決して逃げないよう絡まって、解けない。それでいい。これからも、そうであるならば。
 もう少し嫉妬する彼女の反応を楽しんでも良かったが、これ以上やれば、こちらが死んでしまいそうだ。もっと早くミズキが素直になれば良かったんだが、とまるで他人任せなことを恍は思う。
 何よりも愛しい黒緑の瞳を覗き込み、答えを探る。
「ミズキ」
 
深く甘い、二人の深夜。風が吹いて、カーテンが揺れる。今日も冷え冷えと冴えた銀の月は、二人の影を揺らし。
「……ぃ、」
 
――静かな夜に、一筋の滴を零す。

「コウが、欲しい、っ、私だけのものにしたいよ……っ」

「いい子だ……っ」
「あああっ」
 
ミズキの言葉を聞いて、恍は顔を満面の笑みにしながら、彼女の中に押し入る。甘いその声に耳を澄ませながら、恍は彼女の目の前に首筋を差し出した。
「ほら、っ……お前のだ。っきなだけ、味わえ、っ、」
 
言い終わる前に、鋭い牙が肩口に埋まる。強烈な痛みが過ぎれば、後に残るのは強い快感。背筋を通り抜ける甘美な震えは、決して他では手に入らないだろう。他の男がこれを味わったのかと思えば、悔しくてたまらない。思わず、彼女の身体を抱き締める腕に力が籠った。
 けれど。
「ん、っコウの血、甘いの……っ」
「は、っ、……そうなのか?」
「う、ん。……きっと、」
 
――大好きな人だから、だね。そう思うの。
 はにかんで告げる彼女に、身体中の力が抜けるような気がした。
 ……ああ、どうして。こんなにもその言葉は、自分を揺さぶるのか。可愛いだけじゃない、愛しいでも済まない。
 もう、凶器に近い。ミズキという存在は、自分にとって。
 生かすも殺すも、彼女次第なのだから。

 ぽたり、恍の首筋から滴る命の水を、ミズキはぺろりと舐める。その感触に声を上げるのを堪えて、恍は再び彼女を揺さぶり始めた。いつ何時も自分を狂わせる、その瞳を見据えながら。




月夜に出会う、人種の違う恋人達。
深く魅入られながら、深く魅入りながら。
お互いの奥深くまで、入り込もうとする。
それは恋の罪か、真実か。
月夜はただただ、更けるばかり。


  

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