ウソツキの恋人(5)


「……っ、」
 
考える前に、走った。カンカン、反響するのはあたしの下駄の音。うるさいと感じるけれど、こんな音、誰も気には留めない。
 そう、誰一人。
 気にしなければ、それで終わっていくのならば。
 いつの日か、終わりというものが来るのならば。
「要ーっ!!」
 
暗闇に紛れようとするその背中に叫び、石段を駆け抜ける。白いTシャツが、ふっとあたしに振り向いた。もう一番下に着いている彼の、その胸の中。浴衣はどうしたって走り辛い。
 だから。
「ちょ、果菜っ、!!」
「〜〜〜!!」
 
最後二・三段、飛んだ。空中でよろめくあたしに伸びる、その腕。どん、っと身体中に響く鈍い衝撃。数歩下がった要は、ぎゅうっとあたしの身体を抱き締めていた。その隙に、その背中に手を回す。いつだって、触れるのに怯えていた、この人に。
「おま、何考えて、」
「要こそ何考えてんのよっ!!」
 
どこかで下駄は脱げていたんだろうか。片足だけなくて、冷たいコンクリートの感触。舗装されていないそれはでこぼこしていて、痛くも感じる。小石が指の爪に挟まったような感じ。
 でも、それよりも大事なこと。
「〜、」
 
焦ったように叫んだ要は、あたしの叱咤で黙り込んで、居心地悪そうに身を引いた。でも、その身体にしがみつくように抱き付く。
 許さない。絶対に、許さない。
「っ謝る?土下座?何それ、あたしのことなめてんの?そんなもんで、足りると思ってんのあたしの二年半っ!!」
 
傷付けられても、側にいて。彼女が出来れば喧嘩を売られ。レポートやらされ出席取らされエトセトラ。そんなもん、一回謝ってもらったくらいじゃ、足りない。足りないよ、馬鹿。
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」
 
はぁ、と頭上でため息を吐かれて。呆れたような要の声。すでに彼の腕は、あたしの背中から離れている。それが悔しいから、何があっても離してやるもんか、と腕に力を込めて。きっともう落ちてぐちゃぐちゃになっただろう化粧を、彼のTシャツに塗るように顔を擦りつけた。
「おい」
 
ちかちかと灯る外灯。虫が集まり、ぶつかれば音がする。十数段上の喧騒は、もう聞こえない。ここはただの片田舎。なのに、あたしにとっては決戦の地。
「……て、」
「は?」
 
ぽそ、と小声でその胸に呟く。案の定聞こえなかったみたいで、怪訝そうな声。悔しくて、がばっと顔を上げれば、息を呑まれた。ひどい顔だってのは十分承知してるのよ、でもね、目を逸らしちゃ駄目。
 あたしが、逸らしていないのだから。

「側に、いて、っ一生謝れ、馬鹿ぁ……っ!!」

 許さない。
 あたしの全てを一杯にして、ぐちゃぐちゃにして、壊しかけて。それで謝罪の言葉一つでチャラにしようだなんて、絶対に。
 ――綺麗になんてしてやらない。
 要の顔にも身体にも、心にも。引っかき傷を残して、痕を残して、ズタズタにしてやる。かさぶたになれば、それを剥がして、もっと大きい傷を作ってやる。
 あたしで、傷付いて。あたしに、いらついて。そして側で、あたしに倍以上傷を残してくれればいい。
 痛いのが好きな訳じゃない。
 ただ、それ以上に。
 何もなかったことにされるのが、絶対に嫌なの。
 うざい女でも、ひどい女でも、気持ち悪い女でもいい。要の過去にも現在にも未来にも、あたしという引っかき傷が残らなくちゃ、いや。
 そうじゃなきゃ、許してなんてやらない。

「……は?お前……」
「謝り続けてっ、あたしのご機嫌取ってっ、そうやって一生過ごせっ」
「……んだよ、それ」
 
泣きながら頭を振り乱して叫ぶあたしは、傍から見ればおかしいかもしれない。でも、どうでもいい。要を決して離したくない。独占欲強いとは分かっていたけれど、自分でもここまでとは思っていなかった。
 あたしの人生あげるから、あんたの人生よこして。平然と言えそうな自分が、怖い。
 要の言葉には段々剣が含まれるけれど、その方がずっといい。無関心よりは、嫌われる方がまし。
 ああ、そっか。愛の反対は無関心って、きっとそういうこと。無関心は何も残らず、消えてしまうから。嫌いなら、きっといつまでも残る。記憶に、こんな人間がいた、と分かるから。
「許さないっ、要は、あたしの側にいなくちゃ、駄目なのっ」
「……お前の言う『要』は昔のことだろ?」
 
子供みたい。お気に入りのおもちゃにしがみついて、首を振る。誰にも貸してあげない、見せてもあげない。あたしだけのものだと、精一杯に主張する。そんなあたしに、要は呆れたように零すけれど。
「ど、でもいいっ」
「な、」
「要なら、何でもいいのっ!!優しくて、も冷た、くて、も何でもいいから、だからっ」
 
そりゃあ、あたしだって優しくされる方が好き。だけど、要が側にいてくれるなら、何にだって耐えてみせるよ。泣いても喚いても、もう何だっていい。側にいない絶望を味わうより、ずっとずっと、ましだから。
 ……今更気付く。あたし何処かで、要は絶対にあたしの手を離すことはないと思っていた。それは昔から、要は真っ先にあたしの手を握っていた記憶からで。
 でも、違う。
 今の要は、あたしの手を離そうとする。
 だったら、あたしが握らなく、ちゃ。


「――ちゃんと、握ってて……っ」

 もう一度、繋がなくちゃ。

 嗚咽を漏らしながら、ぐいぐいとTシャツを引っ張る。伸びそうなほど、強く。普段だったら怒られるはずなのに、何故か放置されている。形振り構わずしがみつくあたしに、引いてるのかもしれない。
 でもあたしはもう、遠慮しない。『何でもする』って言ったのは要の方だ。だったら、もう、離しはしない。気を抜いたら喉が変な音を立てそうで、息を大きく吐く。すると。
「、」
 
ふうわり、香るのは要の香り。閉じ込めるように抱き締められて、目を見開く。元々暗かった視界は、完全な闇となる。あたしの視界も、鼻腔も、要で埋め尽くされる。それが、嬉しくて仕方がない。
「お前は、それで、いいのか」
 
唸るような、要の声。首を傾げようとしても、がっちり抱き締められているから無理。けれど雰囲気で分かったのか、憮然とした声が返ってくる。
「俺は、ずっとお前を邪険にしてて、その上縛り付けてたんだぞ。……なのに、何で引きとめようとすんだよ」
 
訳分かんねぇ、そう言いながら強まる腕の力。それに背筋がぞくぞくしそうな喜びを感じながら、あたしもお返し、とばかりに抱き締めた。
「そんなの、決まってる、じゃない」
「……何だよ」
 
分からない訳、ないでしょう。本気で分からないなら、かなりの馬鹿だと思うよ、要。
 ねぇ、でもさ。……そんなとこも好きって思うのは、あたしがかなりの要馬鹿だからだと思うの。
「――惚れてるから、だよ」
「…………」
「要のこと、好きで仕方ないから、だよ」
 
くしゃくしゃの顔で笑って、その綺麗な顔を覗き込む。奇妙に歪んだ表情には、色んな感情が混ざっていて。一見しただけでは、全然分からなかった。
 隙をついて、その首筋に唇を寄せる。びくりと震える身体を無視して、強く吸いつく。
「な、にをっ、」
「きすまーく、つけてるの」
「はっ?」
 
言いなれない言葉は、まるで異国の言葉みたい。
 今更ながら、じっとりと纏わりつく浴衣がベタベタして重い。抱き付くほど、二人の身体には汗が纏わりついて。それでも、それすら心地良く、感じるから。
「要は、あたしのになるから」
「何言って、」
「もう、他の女の人に触らせちゃ、駄目だから。しるし、つけてる」
 
暗くてよく分からないけど、これってついてるのかな?でも確か、要の首に前残ってたのって、もっとくっきりしてた気がする。
 ……うん、薄い。こんなんじゃ、すぐ消えちゃう。そう思い、容赦なく歯を立てた。
「っ、」
 
要が息を呑むのが、耳元で聞こえる。気にせず皮膚に歯を食いこませて、離す。そこにはくっきりと歯型が残って、顔が綻んだ。
 ……キャラが違うとは自分でも思う。色々吹っ切れたせいか、頭のネジ、多分何本か落としちゃったんだ。
「……お前、いてぇっつうの」
「だって、つかないんだもん」
「お前が下手なせいだろっ」
「当たり前でしょ、あたし全部全部、要が初めてなんだから」
 
至近距離で苛立たしげに光る瞳に、唇を尖らせる。誰だって、最初から上手く行けば苦労しない。でも、あたしがそう言った途端、要の目の色が急に冷たくなった。
「……何言ってんだよ」
「何が」
「俺が初めてじゃねぇだろうが」
 
は?と眉を寄せる。初恋から手を繋ぐ、デートにキスまで全部全部、要が初めて。というか、要以外としたことすらないのに。なのに要は、あたしをぎっと睨みつける。
「しらばっくれるな」
「しらばっくれてないよ。あんたの彼女と間違えてない?」
「んな訳ねぇだろ」
 
ぐっと首の後ろに手を回され、顔を近付けられる。唇が、触れあいそうな距離。けれど強い光には、そんな甘いものは含まれていない。怖くはないけれど、不可解だ。
「お前、中学の時」
「中学……?」
 
そう言われて過去を振り返るけれど。当時は、急に身長が伸びて格好良くなった要にいちいち緊張させられた記憶しかない。大きい手があたしのそれを包むたび、全身から火が出るかと思ったくらいだ。
 要が転校してからは、辛くて身が切られるかと思った。卒業したら会える、その一心で勉強すれば連絡は来なくなるし。
 ……うう、なんか思い出してみると寂しい青春時代だなぁ。
 ぽかんとしたままのあたしを見て、要は小さく舌打ちした。
「俺と同じ部活だった、田代って奴っ」
「田代、くん?」
 
勢い込んで言われても、全然記憶に残ってない。要と同じってことはバスケ部だろうけど、同じクラスにでもならなくちゃ親交ないしなぁ。
 あ、もしかして。
「田代、くんって三年の時四組だった?」
「知らねぇよ」
「……そりゃそうだ」
 
間の抜けた質問をするあたしに、要は一層不機嫌な顔をした。それに肩を竦めて、口を開く。
「確か三年の時一緒のクラスだったけど、それだけだよ?別に仲良かった訳じゃなかったし」
「嘘つけ」
「嘘じゃないって」
「だったら、」
 
頑ななあたしに要も焦れたのか、言葉尻が荒くなっていく。その頬に、汗が一筋流れて行くのが見えた。外灯に照らされ、それはまるで光の粒みたいに見える。見惚れるあたしの目の前で、要の薄い唇が動いた。
「何でキスなんて、してたんだ」
 
射抜く視線は、決して逸らされない。確信をもって呟かれた言葉は、残念ながらあたしには全く覚えがなくて。唇をただ、尖らせるだけ。
「いつの話?」
「中三の、十一月」
「……全く覚えてない」
「嘘つけ。お前の家の前だぞ?」
「あたしの――?」
 
家の、前?って。
「か、なめ、あたしに会いに来たの?」
「……どうでもいいだろ」
「いやいやいや、あたしにはそっちのが重要だから!!え、何で帰っちゃったの!!」
「だから、お前らがキスしてたからっ」
 
吐き捨てるように言うその顔は、不快感で一杯。
 それは、どうして?嘘をつかれてると思って不愉快だから?それとも、……嫉妬してるの?
 どきどき高鳴る心臓を、無視できない。頬が赤くなるあたしを見て、要は顔を顰めた。
「思い出したのか」
「覚えありませんっ。……一回くらい、遅くなって送ってもらったこと、あるかもだけど。何もないよ」
「……」
 
あたしの否定に、彼は空を仰いでため息を吐いた。信じかねているのか。
 ありえない!って否定できる。そもそも、キスすれば流石に記憶には残るし、嘘をつこうとは思わない。あたしのファーストキスは、間違いなく要とした、あれ。お父さんとかカウントするなら、ともかく。
 しばらくしてあたしに視線を戻した要は、未だに憮然としていた。
「嘘じゃないだろうな」
「さっきから言ってるでしょ?あたし、覚えてもいなかったんだよ?」
「……はじめての相手なんて、すぐ忘れる」
 
その目を覗き込んで念を押すように言えば、視線を逸らされる。あたしは小さく嘆息した。
 じゃあ、何?要はあたしが嘘ついたと思ってて、今までこんな冷たかった訳?何だそれ、ばかばかしい。
「すぐに電話なり何なり、してくれれば良かったのに」
「当時知らないって言われたら、嘘だと思っただろうな」
「何度だって言ったよ、誤解だって分かるまで」
 
抱き締めていたままの両腕を、そっと外す。目を逸らしたままの要の両頬を包み、こっちを向かせた。どこかぼんやりしているような、不機嫌のような。
 でも、誓っていい。要以外の人に触れられるくらいなら、舌噛み切って死んだ方がましだと、思うの。
 ふ、と彼の吐いた吐息が唇にぶつかる。今までのどんな距離よりも、側にいる。
 不思議。彼をここに呼び出した時は、お別れしようと思ったのに。今、まるで恋人のような距離にいる。好き勝手、触れられる場所に。

「……」
 
黙ってその瞳を見ながら、手を頬に滑らせる。微かにざらつく顎のライン。髭の剃り痕?昔には、なかったのに。形の良い耳に、薄い唇、高い鼻。後頭部を撫で上げれば、さらりと指先に髪が零れた。ふと、彼の両腕があたしの後ろに回る。帯を挟むように、背中と腰に触れた手の平は、何故かやたらと熱くて。小さく息を吐き出した。
 気付けば、要の顔がさっきより間近に迫っている。あたしが引き寄せたのか、要が近付いたのか。それとも、両方か。分からない。
 でも、不意にその声は低くなる。
「お前は俺を、許せるの?」
「……え?」
「お前は違うって言うし、とりあえずその件は置いとく。でも、俺はお前の言うことを、完全には信じられない。今までも、これからも」
 
顔をあげ、じっとあたしを見据える要。額をぶつけられ、僅かに仰け反るあたしの背中が、大きな手に支えられる。
「また傷付けるよ、多分。優しい言葉なんか掛けられないし、思い込みも被害妄想も激しい。それでも、お前はいいの?」
 
自分自身を嘲るように、要は笑う。それは何だか、やたらと悲しく映った。
 目を瞬かせるあたしと、要と。こんな近くで、何でこんな話してるんだろう、って冷静な部分で呟く。けれども。
「……」
 
――人生二度目のキスは、柔らかかった。
 背伸びしたせいで、鼻緒に食い込む指に痛みを感じながら、その唇を食む。目を伏せたままだから、彼の表情は見えなかったけれど。
 でも、この気持ちだけ。伝えたい。言葉にするには、少しばかり大きい、この気持ちだけ。
「……か、な」
 
唇が離れた瞬間、掠れた要の声が耳に届く。
 一回目と、全然違う。テクニックも何もない、ひたすら不器用な、でも気持ちはたっぷりこもった。けど、意味はない。あたし一人の気持ちじゃあ、このキスには何の意味も無いんだ。要の気持ちが、なくちゃ。
「傷付けられるのは嫌だし、泣くのも嫌だし、信用されないのも辛いけど。でも、あたしは」
 
 
――要の側にいたいよ

 それは、最後まで言うことは、出来なかった。目の前にあった薄い唇が、あたしのそれを塞いだから。口内を蹂躙する熱い舌に、膝がガクガクする。けれど倒れることも逃れることも、要は許してくれない。ただひたすらぶつけられる彼の熱情を、あたしは受けとめるばかり。
「果菜、果菜、果菜、果菜、」
 
うわごとのように、息継ぎの合間に囁かれる自分の名前。愛の言葉ではないのに、それ以上にときめいてしまうのはどうしてだろう。ぐらつく頭で、ふとそんなことを思う。
「ごめん、ごめんな、果菜……」
 
囁きと共に、頬にぽたりと雫が落ちる。最初は、雨かと思った。でも、空を見ても星と月しかない。
 ――泣いてるの?要。
 問いかけたくても、終わらないキスに反抗なんて出来ない。どこかで望んでいるあたしがいること、知っているから。もう一度唇が離れた時、大きく息を吐いて。今度はあたしから、その頭を引き寄せた。

「ねえ、要?」
「……ん?」
 
お祭りは終わり。提灯が消えて来たのに気付いた要が、一方的にキスを止めて。あたしをおぶって、家まで送ってくれることになった。重いし、必死で否定したんだけど。どうやら、行方不明になっていた下駄の鼻緒は切れていたみたい。歩ける状態じゃないし、お願いすることになった。
 砂利道は過ぎ、閑静な住宅街。外灯がなくとも、家々から零れる明かりで、前は見える。汗ばんだ太い首にぎゅっとしがみついて、その背中に呟いた。一拍置いて聞こえた返事は、どこか上の空。悔しくて、その胸に小さく爪を立ててやった。
「った、何だよっ」
「要が、上の空だから」
「……聞いてるよ」
 
頬を膨らませてるの、気付いたのかな。さすがの要も背中に目がついてるはず、無いのに。呆れたようなため息に、顔が熱くなった。
「要」
「だから何だ」
「昔は、逆だったのにね。転んで怪我した要をおぶったの、あたしだったのに」
 
裸足の足をぶらぶらさせながら、甘えるようにその肩に額を擦り付ける。そのTシャツから香る要の香りが、ひどく落ち着いた。
「……違うだろ」
「えー?」
「最終的にお前が泣いて無理っつったから、俺がお前をおぶって帰ったんだ」
「そうだっけ?」
「そうだ」
 
そうなのかな。
 もう、覚えてない。ただ、要と昔話がしたかっただけ。
 思った通り、もう彼は怒ることはない。それが嬉しくて、少しだけ、寂しくて。もっともっと、ワガママになってしまう。
「ね、要」
「何」
 
つん、とすましたその横顔。数十分前まで、色んな顔を見せていたのに。これからまた、仏頂面に戻ってしまうのかな。惜しい気がする。
 でも。

「あたしのこと、好き?」
 ――それを崩せるのは、あたしだけでいい。

 思った通り、横顔だけでもぴしりと固まったのが分かる。でも、すぐに平静を取り戻そうと視線をあらぬ方向に飛ばしていた。
「……知らねぇ」
「ええ?言ってくれないの?」
「だから、知らねぇって」
 
優しい言葉を掛けられない、とは聞いたけど。今日ぐらい、言ってくれたっていいじゃない。
 図々しいかな、嫌いになるかな。でも、そんなことない、って胸の奥で声がする。あたしは、要にもっと甘えていいって。
「いいじゃない、言ってくれたって。要、あたしのものでしょ?」
「勝手に決めるな」
「だったら、あたしも要のものじゃないからね」
「……」
「返事してよ」
 
あたしのこと、自分のものにしたいなら。言葉にして、はっきり伝えて?あんた全部をくれなきゃ、あたしはあげられないんだからね。
 意地の悪い調子のあたしに、要は黙ったまま。これまた、昔の要とも大学での要とも随分違う反応だ。それが何だか、くすぐったい。くすくす笑うあたしに、要は殺気を立ち上らせた。
「あたしのこと、好き?」
「……好きじゃ、ない」
「本当に?」
「っ、本当に」
 
二度目の質問には、やけになったような返事。柔らかく目の前で揺れる茶髪に、苦笑と熱い思いが零れる。
 不安はまだ、残る。
 これが本当だったらどうしよう、とか。明日にはまた、いつもの要に戻るんじゃないか、とか。
 けれど。
「要」
「だから、何だよ」
「――あたしは、大好きだよ」
 
言い終わってすぐ、引きしまったその頬に、口付け一つ。上がる体温を自覚して、その身体にしがみつく。
 うわぁ、何か恥ずかしい。バカップルみたい、今の。今更だけど、近所の人に見られてないか心配だ。
 そしてもう一つの、心配。
「……」
 
ゆらゆら揺らされながら、心地良い体温を感じる。でも、唐突にその波は収まって。恐る恐る、顔を上げれば。
「っ」
 
真っ赤な要が、目の前にいて。
 あたしと目が合うと、慌てて前方に視線を戻して、大股に歩き始める。でも、触れ合っている部分はとても正直で。熱い体温は、きっと二人分。くすぐったい幸せが、頬を撫でた。
「要、早い」
「うるせぇっ」
「……もうちょっと、一緒にいたいのに」
「!!」
 
今度は振り向かないけれど、その耳は暗い中でもはっきり分かる位、赤い。そして徐々に、彼の歩みは遅くなる。
 ――こんなに態度にしてるのに、どうして言葉にはしてくれないのかなぁ。
 ひどく大きな疑問は、でも今は、胸に秘めよう。ただ今は。この人の温もりを、もっともっと、求めたい。




傷付けられれば、何度も泣いた。
不条理な扱いには、何度も怒った。

それでも、あたしは。

言葉と態度が裏腹で。
ひどいこと言って、こっそり自分も傷付けるような。
そんな、不器用でウソツキな君に。

何度も何度も、恋をしてしまうのだ。


  

inserted by FC2 system